アバンチュール×フリーマーケット ~帰省からの変奏
11.市がはねる
「そこの人」
と声をかけられた。見ると自分と同じような年格好の男が老松の間に小さな店を出していた。ブルーシートの隅に適当な石を積み上げたスペースは、ちょっとした結界めいて、奥の真ん中に鎮座している男の姿が、時折霞んで見えなくなったし、肝心の商品が何なのかがまったく理解できなかった。
「何を商っているんです。あなたは」
俺は自分の商売がさっぱりなのに嫌気がさし、売り手から買い手へ変わり身し、境内をぶらついていたところだったが、売り手でいたときには、両隣やら、向いやらのざわめきと人いきれでたいそうな賑わいだ、これなら期待できるだろうとほくそえんでいたというのに、売り場を離れてぶらぶらしてみると、ここの石垣のすみに一つ、あっちの灯篭の裏に一つ、手水鉢の手前に一つ、といった按配で数えるほどの店しか見当たらないのが不思議だったし、何よりそのどれもが、いったい何をそんなにぎっちりと陳列してあるのかが理解不能なことに不安を掻き立てられていたのだった。
「なぁーに。いづれあんたにも判るはずだ。人にはそれぞれに立場というものがある。身の程をわきまえていれば身の丈にあったシャツを着られるし、笑われずに済む」
俺は、妙なしゃべりかたをする男だ、まだ若いくせにじじむさい、妙に落ち着いた風な癪に障る奴だ、と思いながらもしばらくつきあってみることに決めた。
どんよりとした雲が垂れ込めてきて、神木の森が鉛色の粒子に紛れていく。そんな中でブルーシートの鮮やかさと冷たさが際立って、ついている膝が痛みはじめていた。
「それで、あなたは相手に何が分相応かわかるというわけですか」
男はこの冷たいブルーシートに胡坐を組んでしきりと頭を掻いている。
「そんな下手くそな字を殴り書くくらいの芸にしか使えない洞察力なんか、くそを食らって西へ飛べって思う。自分のことを初対面の人間に教えてもらおうって根性も腐っているし、腐っているから臭気が漂うことによってその臭気がさまざまな異臭の混ざった腐り方を的確にブレンドされた腐る以前の状況が容易にかぎ当てられる資格試験を3級から順に取得していった暁には、あなたがどんな腐り方をしているのかもたちどころに判別可能になるわけだが、もう一つは営業またはピロートークの達人となって言いにくいことをオブラートにつつむだけでなく、肝油の内側に上手に挿入した上で相手に飲み下してもらえたりすれば金になるというそのことだけが大切だと思っているわけではなるまいね」
「は」
俺はわけのわからぬ悪寒に膝を抱え、ずっと相手の膝の数センチ手前のブルーシートの皺を必死で這い歩いている蟻を目で追いかけながら、早くもこの場にこうしていることを後悔し始めていた。
「あんたは腐ってる。」
男は言葉を緩めない。そして俺はこの場を動けなくなっていた。
男は「この男は支離滅裂だ。腐っているのはこの男だ。この男のしゃべり場に巻き込まれてはならない。頭がヘンなんだ。たぶん住所不定無職(62)の電波以上教祖未満の妄言だ。聞いてるだけで感染する。世界を牛耳っているのは実はジューじゃないんだ。とか言い始めるぞ、そのうち。ほらそういえばこの男のくたびれたトレーナーに書いてあるロゴが、カタカムナ文字にそっくりだけどゼンゼン違う手書き文字じゃないか。超古代文明発祥は日本からに決まっているその証拠はな、とか言い始めるぞ、きっと。埋蔵金なんぞ日本中に埋まっとる。俺は埋める現場をこの目で見ているからどこにあるかを指さすのはわけないが、掘り出す金がないだけだ、とか言い始めるぞ。毎週金星でこの地球を防衛する集会が開かれていて、特別におまえをつれていってやろうとか、いい始めるぞ。だから、この場に長居は無用だ。腐っているのはおまえだ。」と思いながら、ブルーシートをずっと人差指でカリカリカリカリと引っかいていた。
「だがおまえが腐っているのはおまえだけのせいでもないから仕方がないことだということは俺には分かっているから安心せい」
男はどんよりとした目で白髪混じりの不精髭の中の干からびた唇を嘗めながらかけた前歯で話しつづける。俺がひっかいているブルーシートがうす、く熱くなってきた。
具体性は皆無だった。この男は目の前に座っているのが誰であっても、同じように口を動かすに違いなかった。にも関わらず、聞かされている俺には、まさに俺自身に向かって語りかけられる俺のための言葉であるかのように感じられるという点で、男の言葉は占いに似ていたし、予言に似ていた。
「もう分かったよ。つまりあんたには何ひとつ分かっちゃないんだってことがね」
男は、この宣告を無視してしゃべり続けている。いや、相手の言葉を受け入れたら、以降、俺を支配することができなくなるから、耳を塞いでいるのに違いない。俺は、この男が自動律で解体する際を看取りたい気分にもなっていた。
「つまりあんたは他人に向かってしゃべり続けている間だけ、存在してるってことなんだ。俺にはそんなあんたの在りようがよく分かる。その擬似的な命の虚しさもね」
男の口調が一瞬淀んだ。俺はさらに言葉を続けた。
「結局、誰もあんたを求めちゃいなかったんだろ。求めているのはあんたなんだ。面会のない施設老人さ。あんたは店を開いた。だが、あんたは客を求めている客そのものなのさ。俺は客としてあんたの話を聞きにきた風だが、実はあんたのお言葉なんぞ聞きたくも無い。これで金をはらったら、あんたが得をするばかりだ。つまりは詐欺だな。双方が等価交換との合意のうえで取引を行う。それが市場なのだから、俺はあんたに対価を要求する。えーと三万円になります」
男はどんよりとした目をむけた。
「心が届かなかったのも無理は無い。心が無かったのだから」
男はそうつぶやき、歯の無い口から舌を伸ばし、干からびた唇をなめた。俺はかっとなって男を蹴り倒し、
「三万円でかんべんしてやるからよこせってんだよ」
と見下ろした。
倒れた男はのろのろと起き上がる。起き上がる様子が醜く腹立たしいのに腹が立つからけり倒す。のっそりと起き上がる。起き上がるたびに尻の下を手のひらで撫でているのに気づく。蹴り倒す。撫でておきる。ひどく蹴り倒す。這いつくばって撫でておきる。どうやら金がそこにあると目星をつける。
「早く金よこせ。三万円でいいっつってんだから。早くしねぇと、上乗せすっぞ」
「そんなに金がすきか」
男がそういって俺を悲しげに見た瞬間に、俺は男の腹を思い切り蹴り倒して、ブルーシートをまくりあげて男にかぶせ、周囲の岩を投げつけて、ひとしきり静かになってから、先ほどまで男の尻があったあたりを掘ってみた。茶筒が出てきたのを別段の感興もなく取り出してふたを開ける。札が何枚か入っているのを抜き取る。5万円札だった。5万円札って。
「せめて、釣りをおいていってくれんか」
作品名:アバンチュール×フリーマーケット ~帰省からの変奏 作家名:みやこたまち