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みやこたまち
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アバンチュール×フリーマーケット ~帰省からの変奏

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10.見尽神社恒例フリーマーケット



 河原を歩いていてどうにもこうにも歩きにくく、なぜこんなに歩きにくいのだろうと考えながら、ああ歩きにくいと思っているこの歩きにくさは、やはり舗装のペイブメンとばかりをエアインの靴で闊歩する生活が、足裏の感覚を麻痺指せてしまったに違いないが、足ツボへの刺激がこれはすこし強いな、それにしても歩きにくい、足を捻挫しそうで心が折れそうで全体的に、挫折しそうだから、仕事の鬼ならぬ、仕事は鬼で、鬼の仕事の鬼となって鬼を全うするまじめで頑固一徹な星一徹に強制された大リーグボールの養成(妖精?)ギプスさながらに、俺の背中に乗っかっているのは、河原だけに水子だったりといった冗談はさておき、さておき、さておき、別段鍛えるべき部位も必然性もないこの俺が、何の因果か落ちぶれていまじゃマップも手書き。笑いたければ笑うがいいさ。だがな、歩きにくい。グキっていった、いまグキって。もう、売る。この背中に背負った一切合財を、身尽神社の境内で開催される予定の恒例市民フリーマーケットを利用して、人にも地球にもやさしく処分してくれるわ。はははは。

 身尽神社のフリマは当日申込参加可能だが、場所に注文をつけるわけにはいかない。人もよらない祠の影だったり、使われなくなった朽ちたトイレの脇だったり、しめなわのまかれた大杉の裏だったり、こけむした斜面の滑落痕だったりするわけだが、本日は運よく参道横に陣取ができた。平日なのでさほど熾烈極まる場所取り合戦は行われなかったと見えるが、無論客もまばらである。背中の瘤のように馴染んだバックパック(しかしいつのまに私はバックパックを調達し、帰省荷物をパッキングしたのであろう)を降ろし、不滅のレインボー柄レジャーシート上で荷解きしようとして思い留まる。「福袋的な……」元来商売熱心な方ではない。市場の動向も消費者ニーズも知ったこっちゃない。この俺、正真正銘掛け値無しのこの俺自身の背中の瘤、駱駝の瘤みたいな感覚で一体化していたこのバックパック、すなわち水は入ってないが、キャメルバックと命名しても詐欺にはなるまいと思わせるほど大切にしてきた俺の操、十把一からげでお幾らお幾ら万円?


 結局仕事へは行かず、妻を探すあてもないまま川縁を歩いていて、清らかな水の流れを眺めるともなく眺めていて、おかしい。この川は、東に向かって流れていたのではなかったか、こうしてみていると西に向かって流れているではないか。軽いめまいを感じポケットをまさぐると何か埃のようなものが指先に触れた。赤く小さな、蟹だった。蟹。それは、ちりめんじゃこに入っている例のアレだ。だが私はちりめんじゃこを最近食べた記憶はなかった。記憶が無いことが、しかし何の確証になるというのだろう。記憶を便りに生きてきた結果、妻を失ったのではなかったろうか。河原は歩きにくかった。それは私の思考をブツブツととぎれさせ、脈絡を失わせる。河原を歩くことに壮快さを求めていたわけではなかったが、いい加減、このたどたどしさにも嫌気がさした。もうあがろう。無理矢理固めた法面に錆びついた階段。足元からゾワゾワと錆びて虫食になった階段。昇った先の電柱に汚れたビニール袋で覆われたポスターが貼りついていた。「身尽神社フリーマーケット開催」ああ、今日だ。こういう導きにはのってみることにしている。


 来るモノは拒まず、去る者は抹殺する。それが山深い旅館の掟みたいなものなのだと、板長さんは笑った。流れ流れて落ちぶれて、それでも包丁と、砥石だけは肌身はなさずにいたのだそうだ。ここへ来てもう20年になるといって鮎だかイワナだかを竹串で刺し貫きながら、今日の魚がまだ入らないとぼやいた。朝一番でヤナを調べに行ったトクべえさんが戻らないのだそうだ。私はタバコが吸いたくてしかたがなかったが、無理いって雇ってもらって早々にプカプカするのは大人のマナーに反するような気がして自己規制。女将は、もしもいたとしたらだが、私の姉くらいの年齢に見える。なんでも、もともとここを切盛りしていた主人を早くに亡くし、それから細腕一本でこの旅館を切り回していたのだそうで、温泉が温泉じゃなかった騒動の時に逆にどんな貧相な湯殿でも源泉かけ流しってだけでありがたがられる感じになって救われたのだと朗らかに笑う。そんな女将は通いの仲居五人といつもニコニコと腕まくりをしてがんばっている。板場には先ほど紹介した板長と御弟子が二人。どうやら血縁関係があるらしいのだけどそれについては、誰も教えてくれないので私も聞かない。私もここで一生を終えるつもりは無いしみんなそのことは分かっている。

 トクベエさんが、3キロ程下流の杭に引っかかっていたという連絡が入ったのは朝の仕事が一段落したあたりだった。船はもっと下流の河原に上げてあったという。河原に住み、菜園などを営む住所不定無職の連中が、その船を使っていた男を見たと言いはっていたそうだが、警察は取り上げなかった。「私ちょっと行ってみてこなけりゃ」女将はそういって旅館の軽トラックに乗った。私が運転手をおおせつかった。「今日は身尽神社のフリーマーケットがあるのよ。私あそこが大好きなの」女将が夢見るように言う。私はハンドルさばきに全神経を集中していたので生返事しかできなかったが、遺体の身元確認にいく途中にしては、不謹慎な話題ではなかったか、と思った。タバコの火種が足元に落ちたりした。


 客は欠落を抱えており充足を求めてやってきた。出店者は後悔しており、過去を清算したいと考えている。フリーマーケットとはそういう場である。客であり、かつ、出店者でもある、という対称性は認められていないのだ、この身尽神社境内内においては。ここでは出店するための事前登録は必要ない。そもそも社務所に人はいない。また本日の自由市場開催を伝えるポスター(しかし、一体誰がそんなものを描いたというのか)を見て、「何か掘り出し物がないかしらん」などというつもりでここを訪れるという予定調和はお断りだ。ある日、ある時ここを訪れた不特定多数が突如として、あたかも事前に決定していたかのように店を出し、店を訪れる。そこでは客は欠落を埋め、店主は過去を清算する。必要なものはそこに何でもある。しかし、とあなたは思うかもしれない。一体何も分からぬまま集まった人々が、店を出すといって、あらかじめ商品を用意してこないのだったら、どうやってピクニックシートに魅力的な商品を陳列することができるというのだろう、と。だが、そんな心配は無用だった。そこにきて自分が売り手であることを不意に自覚させられた店主は、すでに自分が手放したいと思っている品物の一切合財を持ちあわせてきていることに、当然のように気づくだろう。出店の事前登録など不要だ。だが資格は必要なのだ。事前予告によって成立するものが予定調和なのではない。むしろ、そこにそのようにいるというまさにそのことのみが予定調和ならぬ予定調和なのであって、この辺の理屈を敷衍するつもりは一切無い。とにかく俺は参道のほどよい区画にまぶしいブルーシートを広げそこに嫌になるくらいの量の商品を並べつつあった。