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黒蜘蛛の糸

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「なあにあなた、魍魎祓い士?」
 眉をひそめて流れた佐恵の目線が、頼の右手の刀を捉えた。威嚇か、彼女の足が一本、どす、と音を立てて地面を叩く。
「ええ。今からあなたを祓います」
 頼の目だけが、鋭く佐恵を射抜いた。一瞬ひるんだ風を見せたものの、佐恵も負けじとにらみ返す。
「そんな刀一本……」
 言いさした佐恵が言葉を詰まらせた。義隆の目には、ただ頼が歩いたようにしか映らなかったが――しかし、訝しんだ彼が眉間に皺を寄せたときにはもう、頼の刀が佐恵の足を一本、なぎ払っていた。佐恵の喉から溢れた悲鳴が、空を震わせる。流れる雲さえ震わせて――いや、震えているのは、小刻みに動いているのは、義隆の方だ――
 頼はまるで動じた様子を見せず、未だ天は一歩も動かない。義隆の目では追い切れない速さで動いた直刀がもう一本、黒蜘蛛の足を切り落とした。前足二本を失った巨体は、己を支えきれずに前方に傾き、沈む。痛みと怒りに戦慄く佐恵の口からは怒号が響き渡り、残った脚が激しく地面を踏みならした。
 佐恵が顔を歪め、無数の蜘蛛の目がぎょろりと周囲を見渡したかと思うと、彼女は蜘蛛の頭を支えに下腹部を少しばかり持ち上げ、その腹側から白い糸が噴射された。
「わ、うわあっ」
 四方八方に伸びた糸を見、義隆は情けない悲鳴を上げて逃げだそうとするが、脚がもつれてその場に倒れ込んだ。蜘蛛の糸は容赦なくその手を義隆に伸ばす。が、あと少し、というところで、向かう手は阻まれた。
 ばちん、と音を立てて蜘蛛の糸にぶつけられたそれは、勢いを失うことなく糸の軌道を変えて地面に突き刺さる。義隆の目前で白い糸を絡め取っていったのは、鉄の苦無だった。地面に深々と苦無が突き立てられた瞬間、蜘蛛の糸はぼっと音を立てて塵になる。ふと天を見やると、着物の袂が風もないのに揺れていた。この苦無を投げたのは、おそらく彼女だ。
 視線を頼に戻すと、相変わらず目で追うことも出来ない速度で直刀は鮮やかに翻り、蜘蛛の糸を断っていく。しかしそれにしびれを切らした様子の佐恵がまた下腹部を持ち上げた瞬間、天が動いた。
「未熟よ、よーちゃん」
 どこか甘い声音で、彼女は頼に呼びかける。
「だって、仕方ないでしょ!」
 義隆には何が未熟なのかはわからない。ただ、噴射された糸のほぼ全てを頼の直刀が切り払ったことだけは見て取れた。
 天は頼に返事をすることなく、軽やかな足取りで地面を蹴る。そうして静かに助走をつけたかと思うと、頼の肩へと飛び、彼を踏み台にして更に高く跳躍した。いつの間にかその手に苦無を掴んでいる、と思えば、視界の端で蜘蛛の目玉が全て爆ぜ割れ、佐恵の絶叫がその喉から爆ぜた。
 踏み台にされて体勢を崩した頼に蜘蛛の脚が二本襲いかかったが、頼は苦もなく一本を切り落とし、もう一本は手に持った鞘で受け止めた。蜘蛛の巨体が体重を乗せて打ち下ろした一撃を、鞘と頼の左腕は難なく受け止める。
「ごめんね、これ、鉄鞘ごしらえなんだ」
 微笑んだ頼の左手が角度を変える。先を滑らせ宙に躍った蜘蛛の脚を、頼は逆手に持った鞘で打った。打たれた脚は硬い音を立ててひしゃげ、佐恵の悲鳴がまた掠れて空へ伸びる。
 それはたった数分の出来事。しかし、佐恵はもう、息も絶え絶えといった様子だった。
 静かに歩み寄る頼。彼の右手が音もなく動いた――らしい。義隆の目には、翻った振り袖の袂が映るのみだった。視界の上方を黒い影が横切り、義隆は顔を上げる。青空を回転しながら飛び、弧を描いているのは、佐恵の頭だった。義隆はそれを呆然と見やることしか出来ず、その頭が灰と散ったとき、初めてつぶれた悲鳴が漏れた。
 体が、勝手に動く。地面にぐったりと寝そべる蜘蛛の巨体に、のろのろと近づいていく。
「佐恵……」
 声をかけたそのとき、蜘蛛の体もまた、灰と散った。
 義隆の体がくずおれ、地面に膝をついた。酷い衝撃に頭がぐらぐらと揺れたが、義隆の目は蜘蛛がいた場所を捉え、離さなかった。
「僕が……間違っていたのか? 僕が君を受け入れていれば、こんな事にはならなかったのか?」
 問いかけても、返事があろうはずもない。
「家を、家族を捨てて、君を選べば正しかったのか?」
 涙が頬を伝い、義隆は地に手をついて嗚咽をかみ殺す。しかし、どれほど歯を食いしばってみても、悔恨は口の端から溢れ、漏れ出て止まない。
 しばらくの後、背後で金属のかち合う音が小さく聞こえた。義隆は体を起こして振り返る。刀を鞘に収めた頼が、踵を返したところだった。
「あ、待ってくれ、家に」
 慌てて涙を拭き、立ち上がる。しかし、天は振り向きもせず公園から町の下へ続く下り階段に向かい、頼はこちらに向き直って首を横に振った。
「このまま帰ります。依頼を果たしたことは、あなたが見ていますから」
 佐恵を殺す前と何ら変わらない笑顔に、ぞっと背筋を冷たいものが走り抜ける。
「それと……義隆さん」
 呼びかけられて、返事をすることは出来なかった。代わりに、義隆の肩がびくりと大きく跳ねる。
「多分ね、あなたは何も間違ってなんかないよ」
「え」
 義隆は目を見開いた。
「あなたでは駄目だった。ただ、それだけの話だ」
 悪気がある風でもなくそう言い放ち、頼は再び踵を返す。待ちくたびれた様子の天が「よーちゃん」と苛立たしげに声を上げた。
「わかってるよ、ねーちゃん」
 慌てた様子で小走りに階段へ向かう頼。彼は階段の前につくと、当然と言わんばかりの自然さで天に向かって手をさしのべた。二人は、目を見張る義隆のことなど、もうここにいることすら忘れていた。天は満足げに眼を細めて笑み、頼の手を取る。
 二人は手を取り合って階段を下りていく。そして――その後ろ姿は、見えなくなった。



 佐恵は、きれいな女だった。
 知り合ったのは大学に通っていた頃で、入学してすぐに入ったサークルの新歓飲み会の場で初めて話をした。
 茶色に染めてはいたが痛んだ様子のない髪や、ネイルは塗らずに磨かれた爪に好感を持った。美しい、や可愛い、といった言葉よりも、清潔という言葉の似合う女だった。たとえばそれは、つやが出るまでモップをかけた床のようであり、整然と並べられた白い食器のようでもある。――今思えば、初めてあったときから、およそ人に抱くものとはほど遠い感想を抱き続けていたようだが、それでも義隆にとって、その感情は愛だった。
 彼女との関係に変化が訪れた機会は二度。一度目は義隆が付き合おう、と言ったときで、二度目は義隆が別れよう、と言ったときだった。
 学生の頃に付き合い始め、卒業してからも惰性で関係は続いた。義隆には一生を添い遂げるつもりなど無かったが、佐恵にはそのつもりがあったらしい。そんな様子を微塵も見せなかったからこそ、別れを拒まれた時には心底驚いた。
 佐藤の家は長男である義隆に厳しい。取り立てて肩書きを持たない平凡な家柄に生まれた佐恵を嫁にとることを許すとはとうてい思えず、義隆は一方的に関係を絶って彼女の前から姿を消した。
作品名:黒蜘蛛の糸 作家名:亜崎マキ