黒蜘蛛の糸
開けたときにもまして激しい音を立て、閉められる引き戸。どこか気まずい感がして、義隆は曖昧な苦笑をまた浮かべる。
「場所は、近くの公園なんです。ご案内します」
門扉の外に出てそう言うと、青年は先ほどよりもやや人なつっこい微笑みを浮かべて「はい」と相づちを打った。
「義隆さん、大変そうですね。佐藤さんはかなり厳しいお父上のようで」
苦笑しつつ、青年は呟く。
「なんで名前……」
「依頼主のご家族ですから、知ってますよ」
今度はにこりと屈託のない笑みが浮かんだ。
「そういえば君の名前はなんて言うの」
笑顔に釣られて、つい言葉が馴れ馴れしくなってしまった。この青年が、今年二十八になる義隆よりも、ずっと年下に見えるせいもあるだろう。すぐに人を見くびる悪い癖は、しっかりと受け継いでしまったと小さくため息をつく。
「俺は舛花頼です」
それでも青年は嫌な顔一つせずに答えた。漢字は、と聞くと「頼りになる、の頼」と今度は少し悪戯な笑みが返ってくる。
「本当はね」
急に崩れた言葉遣いに、義隆はどきりと肩を跳ね上げた。
「堅苦しいの嫌いなんです、俺もねーちゃんも。だから、貴方も言葉遣いとか気にしないで下さい」
おかしそうに笑う頼。その隣を歩く天を「ねーちゃん」と呟きつつ見やったが、彼女はこちらに一瞥くれさえしない。この、なんのてらいもなく少女と形容できる容姿を持つ天が、姉。まじまじと二人を見比べると、確かに顔立ちも似ている。奇抜な見た目のせいで、頼の本来の容姿は近づいてよく見ないとわからなかった。
「どの家にも護符があるね。これは?」
辺りを見渡しながら頼が問うた。左右に広がる民家の戸には、全て護符が貼り付けられているのが見える。
「父が配り歩いたものだよ。……佐恵は俺を追ってきたわけだからね、他の家に危害を加えないように守るのは、家のメンツを守るためにも大事なことだったらしい」
佐恵の部屋で彼女の腹に異常が現れているのを見た翌日、すぐに彼女は義隆を追って家にやってきた。そのときに一暴れしていった名残があのブルーシートである。慌てて買ってきた簡易護符は彼女を家の敷地内から追い出しはしたが、退治できるような代物ではなかったため、依頼した魍魎祓い士が到着するまでに被害が拡大してはいけないと護符だけ緊急に取り寄せ、近所に配り歩いた運びである。
うつむいた義隆に、さほど興味はなさそうに頼は相づちを打った。その目は、目前に迫った公園を捉えている。
「なるほど、今回の標的は“佐恵さん”か」
ぽつりと呟かれたその名前に――心臓が突き破られる錯覚を見た。
「彼女が佐恵さん?」
天が初めて、義隆の顔を見る。汗がどっと吹き出して、目眩がする。
公園の入り口からでも遊具越しに見える巨体。黒地に赤のまだら模様の蜘蛛、真っ赤な目はぬらぬらと光って、その頭の上に小さく見えるのは女の上半身だ。青白い半身を揺り動かして振り向いた彼女。その唇が、くっきりと笑みをかたどる。
「義隆……やっとでてきたのね……待っている間に、お家を造り終わってしまったわ」
公園中に張り巡らされている白い糸は彼女が引いて回ったものだ。その中心で佐恵は体をくねらせ、蜘蛛の足が地団駄を踏んだ。地面が揺らぎ、土埃が逆巻く。
「知り合い以上、みたいだけど」
頼と天は迷いもなく公園へ入っていく。天は武器を取り出す様子はないが、頼は片手に持った刀を鞘から静かに抜いた。反りのないまっすぐな刃は、直刀だ。
「むごいものを見ることになるよ」
その声はやはり迷い無く、淀みない。