黒蜘蛛の糸
佐恵が魑魅魍魎と化し、祓われてしまった後も、義隆はずっと彼女のことを考えている。過去にさかのぼって記憶を辿っては、どこかに転換点が無いかどうかを探ろうとしていた。締め切った和室の中に布団を敷き、じっとそこに横たわって。
縁側から、障子を通してほのかに部屋を満たしていた光もいつの間にか消え、外に見えるものはただ月明かりばかりである。時間を忘れた部屋の中で、義隆はふと、魍魎祓い士の姉弟を思い出した。
階段の前で手を繋ぐ二人。世界には他に誰もいないかのように、まっすぐに交わされた視線。しかし、脳裏に浮かんだ情景の中で、弟の頼はこちらを振り向き呟く。
「あなたでは駄目だった。ただ、それだけの話だ」
ああそうか、と義隆は胸中で肯く。自分では駄目だったのだ。現実を目の前に、家族の掲げたルールを目の前にした時、家を捨て、名を捨て、理性を灰にして彼女の手を取れる人間でなければ佐恵を幸せになど出来なかった。
しかし、二人はそれに気づかないまま、どうかすれば二人で幸せになれるような甘い夢を信じ続けていた。
あの姉弟のように、疎んじられても、気味悪がられても、互いを選んで生きる覚悟が義隆にはなかった。それを出来る人間ではなかった。ただ、それだけのことだったのだ。
そう思った瞬間、義隆の頬を一筋、ぬるく涙が伝った。
ただ、それだけのこと。言葉にするのはあっけない。しかしそれでも、義隆には、心の全てを捧げるような事だった。