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黒蜘蛛の糸

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「さ、佐恵……?」
 ここは、恋人の住むマンションの一室だ。ワンルームの室内がほの暗いのはカーテンが閉め切られているせいで、空気がほのかに冷気を帯びて感じるのも、うっすらとカーテンの色を映す青みを帯びた壁のせいだろう。
 緩く閉じられたカーテンからこぼれる昼の光を背に受け、微笑む恋人。彼女を見、佐藤義隆はおののいた。
 恋人である佐恵は、半身を屈め気味に起こして、足を伸ばし、ベッドに座っている。
「義隆……来てくれたの……」
 細い声が妙に響く室内に、自分自身が息を呑む音すら大きく聞こえる。
「ねえ、見て。もうこんなに大きくなって……私たちの子よ」
 膨らんだ腹を撫でる手つきは優しい。しかし、なだめるようなその仕草が、義隆の背筋を逆撫でする。
 子供――子供と言った。彼女は慈しむように、愛おしむように「私たちの子」と言ったのだ。ならばなぜ、その腹はどす黒く染まっている?
 どん、と音が聞こえた。佐恵が撫でた彼女の腹が、破れるのではないかと思うほどに跳ね上がった。
「あら……元気ね」
 彼女が声を上げて笑い始める。その目はどす黒く膨らんだ腹を凝視し、その手は跳ねる腹を押さえつけて力を込め、震えている。
 義隆は後ずさりをした。ソファーにぶつかってよろけ、テーブルに肘をぶつけて顔を歪め――それでも視線を佐恵から外さず、ドアに向かって後退する。
「どこにいくの? 義隆」
 その声は、引き金だった。義隆はか細く振るえた悲鳴を上げ、今度こそ佐恵から顔を背け、一目散に駆けだした。逃げ出す彼の袖を引っ張るように、小さな声が名前を呼んだ。



 霊力豊穣な土地、日本。数多の精霊、神々が住まうこの土地は、長らくその豊穣な霊力によって「強運」をはじめとする様々な加護を受けてきた。
 しかし現在、人の魂は不安に揺れ、それが影響を及ぼし霊力という土壌自体が乱され始めている。乱れた土壌は不安や悪意といった思念の餌となり、精霊、妖怪にも力を与え、そのために日本は「魑魅魍魎」が昼日中から跋扈する霊障の国となってしまった。
「遅いな……魍魎祓い士はまだ来ないのか」
 玄関を左右にうろうろしながら苛立った声を上げる父親の顔を見、年老いてもなお四角く厳い顔立ちの彼を熊のようだと感じながら、義隆は腕時計を見やった。時刻はあと数分で午後一時となる。父親の言った「魍魎祓い士」がやってくる予定の時刻は一時だが、それまでに来ることが出来るだろうか、と義隆は心の中でため息をつく。
 佐藤家は代々続く、この町の有力者だ。山を開発して作られたこの町の最も高い位置に居を構え、町並みを見下ろして暮らしている。ゆえに、最寄りの駅や大きな車道からここへたどり着くまでにあるのは、上り階段と上り坂ばかりである。平坦な道を期待して来る人間は、この上り階段と上り坂のタッグにへとへとにやられ、大抵遅刻をする。
 その来客の遅刻に慣れているはずの父が苛立っている理由は唯一つ、相手が魍魎祓い士だからだ。
 魍魎祓い士とは、魑魅魍魎を清め、祓う事を生業にしている人々の呼称で、今や最も需要のある職業のひとつになっている。
 義隆としては――まさかお世話になろうとは、と言いたいところであるが。
 ぼんやりと見やった右側、居間があった場所は壁が倒壊しており、ブルーシートに覆われている。
 不意に、玄関の呼び鈴が鳴った。義隆が顔を上げるのとほぼ同じくして、父親は玄関の引き戸に手をかける。乱暴に開け放たれた戸がぴしゃりと悲鳴を上げ、父親の背中越しに外の景色が飛び込んできた。
 庭を挟んだ外側にある壁と生け垣、木製の門扉、その更に外に二人の人物が立っているのが見える。
 門扉の外にいたのは、一組の男女――青年と、少女だった。
 青年はフロントタックのシャツとサスペンダー付きのスラックスの上から、色鮮やかな振り袖を身につけ、右手には刀を持っている。口元こそ優しく微笑んでいるが、その目の際には赤いアイラインが隈取のように引かれており、かなり奇抜な外見である。
 その横に立つのは、袴にブーツを合わせた服装が目を引く少女だ。肩の上まで伸びた艶やかな黒髪は、前髪をリボン付きの赤いカチューシャで留められている。はっきりとした黒目がちな瞳と、美しい顔立ちには思わず息を呑んだ。
 義隆の父親も、同じような感想を二人に抱いたらしい。凄い剣幕で引き戸を開けたと思えば、それきりぴくりとも動かない。
「佐藤さんのお宅はこちらでよろしいですか?」
 口を開いたのは、青年の方だった。柔らかいが艶のある声で、一瞬どきりと心臓が跳ねる。
「あ、ああ、そうだ」
 なぜか動揺した様子で返事をした父親に、義隆は吹き出しそうになるのをこらえた。青年は特に気にした様子もなく「よかった」と笑みを深くする。
「本日お邪魔するとお約束していました魍魎祓い士です」
 父親は、今度は困惑した表情を見せる。そして、それを誤魔化すかのように咳払いをし、ゆっくりと口を開いた。
「私どもは、腕利きの魍魎祓い士を派遣していただけると聞いていたのだがね」
 義隆が「あ」と言ったときにはもう遅かった。父親お得意の高圧的な皮肉は、彼の口を突いて出ていた。
「腕利き、ねえ」
 少女の口から呆れたような言葉が漏れる。それは、落ち着いた調子の澄んだ声だった。だからこそ余計に、だったのかもしれない。その声音に、侮蔑の色がはっきりと表れていたのは。
「もしも私たちの背格好がお気に召さないのならば、前金はお返ししますから他の魍魎祓い士を探してくださるかしら」
 眉一つ動かさぬまま、言葉だけは辛辣に彼女は言い放つ。
「こちらは舛花家と言えば当代切っての魍魎祓いの名門だと聞いたから依頼したんだぞ! それをこんなひよっこを寄こしておいて何を言う!」
 父親の怒号が響き渡り、通行人がこちらを振り向くのが見えた。義隆は他人事と言わんばかりにため息をつく。
「当代切って、かどうかは知りませんが……舛花の名をあてにしてのご依頼なのでしたら、舛花の名を信用していただかないことにはどうにもなりません」
 青年は困惑気味に曖昧な笑みを浮かべた。
「こちらとしても舛花が派遣できる最高の魍魎祓い士をお連れしていますので」
 青年の目が、ちらりと少女を見やる。少女は憮然として一度ため息をつくと、淡く色づく口を開いた。
「自己紹介が遅れました。……私は名を舛花天と申します。舛花家が次期主として、魑魅魍魎を清浄せしめるために参りました」
 言い聞かせるようなゆったりとした口調に、父親はもちろん、義隆も口をぽかんと開いて硬直した。
「舛花の武の頂点は舛花の主。ですが年老いた当主よりも次期主である私の方がより適任として派遣されました」
 さあどうする、と彼女は結論を迫っている。口の端をにっこりと上げて、父と義隆の両方を見据えている。
 忌々しげに咳払いをした父親を見て、義隆はただ苦笑した。
「ご納得いただけたのであれば、早速現場へ急ぎましょう。ご案内いただけますか?」
 青年がまた口を開くのに、父親は義隆の背を乱暴に押して外へ追いやった。
「もとはお前が撒いた種だ、お前がご案内しなさい!」
作品名:黒蜘蛛の糸 作家名:亜崎マキ