愛を抱いて 27
彼女は自動車の修理工場をぼんやり眺めながら歩いた。
そして今度は、後ろの香織達の方を視て云った。
「鉄兵君の事、香織ったら、とても自慢そうに話すのよ。
けど、香織が羨ましいわ…。」
「…俺と彼女とは、もう何でもなくなったんだよ。」
「ゆうべも香織がそれっぽい事云ってたけど、嘘なんでしょ…。
今日、二人を視ていて、とても仲良いのがよく解ったわ。」
「本当なんだ…。
もう終わってるんだよ。」
香織と世樹子は愉しそうに何か喋っていた。
「もし本当なら、今日、鉄兵君の処へ私が行けたはずないじゃない。
全く…。」
彼女は私の言葉をまるで信用してない様に云うと、足を止め、香織達に声をかけた。
「鉄兵君、ちゃんと木暮さんを口説けた?」
後ろの二人はニヤニヤしながら我々に近づいて来た。
香織が何か云い、篤子は声を立てて笑いながら、香織の肩を叩いた。
私は彼女を傷つけるためだけに付き合って来たのだ、という事を改めて思った。
3人の女はとても愉快そうに喋り合い、私は歩きながら煙草に火を点けた。
〈五四、香織の失策〉
55. 学祭
11月17日、私はファーラーのブラック・ウォッチを穿き、シャツの上にはニューヨーク・ヤンキースのサテンのジャンパーを着て、部屋を出た。
午前10時半に、世樹子と中野駅で待ち合わせをしていた。
私が駅前にやって来た時、世樹子は既に切符売場の横に立っていた。
二人は総武線に乗り、水道橋へ向かった。
以前、私はアルタの前で、女性コンパニオンの容姿に吊られ、用紙に簡単なクイズの回答と自分の住所、氏名を書いて箱の中に入れた事があった。
その事を忘れてしまった頃、私の処に後楽園遊園地のフリー・パスが2枚送られて来た。
電車は水道橋に到着し、私と世樹子は後楽園球場の横にある遊園地へ向けて、歩き出した。
下に後楽園球場が見えた。
人工芝はこの季節にも、鮮やかな緑をしていた。
「大学の学祭って、愉しいんでしょうねぇ…。」
世樹子は云った。
「さあ?
初めてだから、解んないけど…。」
「鉄兵君、まだ1年生だから、色々と用事をさせられて忙しいでしょ。」
「どうかな…?
いつ来るの?」
「私…、行っても大丈夫かしら…?」
「どうして?」
「香織ちゃんは、いつ行くって云ってた?」
「えっと…、確か、初日の午後来るって云ってた。」
「20日ね。」
観覧車はゆっくりと廻った。
「私、やっぱり、あなたと付き合っては、いけなかったのよ…。」
世樹子は空の低い処を見つめていた。
「でも、もう遅いのね…。
そうそう…、おととい、木暮さんと一緒に歩いてる後姿を視ていて、少し腹が立ったわ。
二人、似合ってるんだもの…。」
「そうかい?」
「あら、随分嬉しそうね?」
「うん、嬉しい。
君に妬いてもらえるなんて…。」
間もなく、私の大学の学園祭が始まろうとしていた。
「鉄兵、ボーッと座ってないで、少しは動きなさいよ。」
美穂が云った。
客は次から次へとやって来た。
「もう、あなたは邪魔になるだけだから、どっかへ行ってて良いわよ。」
千絵が云った。
狭い通路にひしめいている人込みの中に、香織の顔が見えた。
「あった、あった…。」 と云いながら、4人の女が店の前へやって来た。
「いらっしゃい…。」
私は笑いながら云った。
「とても座れそうにないわね…。」
香織が云った。
「ああ…、ちょっと今はね。」
私は煙草をポケットに入れて立ち上がった。
「ちょっと、どこへ行く気?
この忙しいのに…。」
云ってから美穂は、香織に気づいて口をつぐんだ。
「いらっしゃい。
お久しぶり…。」
美穂は香織に云った。
「凄い盛況みたいね。」
「御免なさい…。
ちょうど今、満席なの。」
「じゃ、俺、ちょっと廻って来るから…。」
「行ってらっしゃい…。」
私は店を出た。
美穂と香織は手を振り合い、私は4人の女を連れて、人込みの中を進んだ。
「鉄兵君、本当にいいの?
お店、出て来ちゃって…。」
世樹子が云った。
「ああ。
どうせ俺はいても邪魔になるんだ。」
我々は喫茶店を見つけて、そこに入った。
「それにしても、凄い人出ね…。」
やっと落ち着けたという風に、ヒロ子は云った。
「今日は金曜日なのに…、明日、あさっては、もっと賑やかになるんでしょうね。」
「いかに大学生は暇かって事よ。」
「私、女の子のエプロン姿がとっても可愛かったわ…。」
ぼんやり店の内装を見ていたノブが、口を開いた。
「エプロンは確かに可愛いけど、うちのは中身がボロボロだからな。」
「あら、みんな可愛い娘ばかりだったじゃない。
特に、美穂さんなんて…。」
私は煙草に火を点けた。
私の大学の学祭は、11月20日から23日まで、全日オールナイトで行われた。
我がサークルの出店である「おでん屋」は、意外にも大当たりだった。
他の出店が何れもクレープや清涼飲料水ばかりで、腹に溜まる食べ物を売る店が少なかったのと、予想以上に気温が低かったのが勝因と思われた。
他の大学にない、我が校の学祭の特色をあげれば、それは夜の部にあった。
まずオールナイトが許されているのは、我が校ぐらいのものであった。
暗くなる少し前に、香織達は帰って行った。
夜の構内は、酔っ払いの巣窟と化した。
私はサークルの仲間数人と連れ立って、知り合いのいる店を呑み歩いた。
昼間はクレープを売っていた店も、夜になると居酒屋に変身していた。
我がサークルの店でも、酒は売っていた。
我々はすっかり酔って自分の店へ戻って来ると、商品である清酒の2級酒を勝手に呑み始めた。
「鉄兵も一緒に帰りましょ。」
美穂が云った。
最後まで残っていた1年の女達は、皆荷物を持って立ち上がった。
「淳一は…?」
私は訊いた。
横沢がそばで寝ていた。
「井上は501へ連れて行ったぞ。」
先輩の一人が云った。
「早くしないと、終電も行っちゃうわよ。」
千絵が云った。
私は立ち上がって2歩ばかり歩いたかと思うと、足元のゴミ箱を抱く様に引っ繰り返った。
どこも痛くなかったが、ゴミ箱を抱いたまま動けなかった。
「駄目だ、こりゃ…。」
そう云って、女達は帰って行った。
辺りは閑散としていた。
店の奥では3年達がコタツを敷いて麻雀をやっていた。
私が倒れている入口に近い方では、まだ数人が酒盛りをしていた。
横沢は蒼い顔をして、相変わらず眠っていた。
突然、学生服を着て腕に腕章をした連中が、店の中へ入って来たかと思うと、私の腕を掴んで抱え起こそうとした。
「俺は、大丈夫だ…!」
私はそう云うと、彼等の手を振り払った。
学生服達は、酒盛りをしている者等に一言声をかけると、横沢を抱き起こして連れ去った。
私はコンクリートの壁にもたれかかる様にして、ゆっくり歩いた。