愛を抱いて 27
校舎にもキャンパスにも歩く人影は見られなかったが、常にどこからか、ぼそぼそと話し声が聴こえた。
廊下の途中に、501という教室番号が見えた。
教室と言うより講堂と表現した方が正しい程広いその教室だけは、この時刻にも明々と電灯がついていた。
近づくと、中は結構ざわついている様だった。
私は501号教室へ入って行った。
黒い学生服を着た連中が何人もいて、教室の中を動き廻っていた。
毛布の敷きつめられた椅子の上に、夥しい数の泥酔者が寝かされていた。
淳一と横沢は、死んだ様に眠っていた。
私は再び廊下へ出た。
ふと、世樹子の事が頭に浮かんだ。
重い硝子のドアを押して、キャンパスへ出てみた。
外は寒かった。
新宿の方を視ると、いつもの様に空が明るく輝いていた。
私は世樹子に逢いたいと思った。
そして、今日彼女が、香織達とここへやって来た事を思い出した。
それなのに、私は今すぐ、彼女に逢いたがっていた。
私は生まれて初めて、自分にその様な気持ちが芽生えた事を自覚した。
酷く寒かった。
「世樹子…。」
私は彼女の名を呼んだ。
キャンパスを彷徨う様にして、私は学生会館の方へ歩いた。
学生会館の中は、暖房がよく効いていて暖かかった。
大ホールではパンクの連中が、オールナイト・コンサートをやっていた。
ボーカルの女が片方の乳房を出して、シャウトしていた。
ホールの中は熱気で汗が出そうな程だった。
私は空いている座席を見つけて座った。
いつの間にか、女は全裸になっていた。
私は眼を閉じ、そこで眠った。
学祭の最終日に、柳沢はフー子と一緒に私の大学を訪れた。
「やっぱ、俺なんかの大学とは盛り上がりが違うな。
それに、おでん屋とは考えたよ。
発想がいい。」
柳沢はがんもを食べながら、云った。
「ヒロシは昨日来たの?」
「ああ。
バンドの連中と一緒に来たぜ。」
「鉄兵も出るんだろ?
1日のコンサート。」
「うん。
出る事にした。」
「そうか、そいつは良かった。
喜んだろ?
ヒロシの奴。」
「そんな事はない。
だって時間の枠は決まってるんだから、俺達が出ればその分、あいつ等の時間が減るんだぜ。
まあ、今回のは、ヒロシの好意に俺が甘えたって処さ。」
「違うよ。」
柳沢はがんもばかりを選んで食べた。
「それは違うよ。
ヒロシは鉄兵に、どうしても出て欲しかったのさ。
あいつは、お前のファンなんだ。」
「あら、私だって、鉄兵の唄好きよ。
まあまあだけど。」
フー子は箸で、茹で卵を半分に割りながら云った。
「香織と世樹子なんか、鉄兵の大ファンじゃない。」
「いや。
君等が鉄兵の唄を好きって云うのと、ヒロシが好きと云うのとじゃ、全然違うさ。」
「どういう事?」
フー子は卵ばかり食べた。
「同じ、唄を創ってる人間に好きだって云われるのは、特別嬉しいものなんだよ。
そうだろ?
鉄兵。」
私は煙草に火を点けながら、ただ笑った。
「どうせ私は、音楽の事はよく解りませんよ。」
祭日のその日は晴天に恵まれ、私の大学は夕方までキャンパスに人が溢れていた。
11月27日、私は世樹子を連れて、二流館へ映画を観に行った。
「凱旋門」と「或る夜の出来事」の2本立てであった。
その日の最終回を観終わって、二人は沼袋へ帰って来た。
三栄荘へ戻ってみると、珍しく柳沢は自分の部屋に居た。
「柳沢君来ないのね。」
世樹子は簡単に部屋を片付けた後、コタツに脚を入れながら云った。
「ああ、今夜は君と映画に行くって、云ってあるから。」
私はテレビから視線を外さずに云った。
「そう。
でも、どうして?」
「当然、一緒に帰って来るだろうと思って、気を使ったのさ。」
「まあ。
何か私、悪いわね。」
私は彼女の方を向いた。
「君が部屋に来る事は、悪くないよ。
悪いのは、君が部屋に来ると俺がこうする事さ。」
そう云って、私は世樹子に顔を近づけた。
〈五五、学祭〉