シロノノロイ
何十年も前から様々な人たちがこの桜を見ようと訪ねてきた。だが、誰一人としてハルの存在に気付く者はいなかった。お客さんが来たら、いろいろな方法(例えば、お花見客の酒瓶を揺すってみたり、服の端をつかんでみたり)で自分がここにいることを気付かせようとしていたのだが、そのたびに「わっ!」とか、「きゃ!」となって逃げ帰ってしまうのだ。
最近ではなぜかお客さんもめっきり減って、さっきの女の子も三年ぶりくらいだったかもしれない。
「わたしってオバケの才能ないのかなぁ…」
若干涙目になって。巨木の根に腰を下ろした。
「さみしいなぁ…、だれか来ないかな」
そう言ったとき、サクリと草を踏む音が聞こえた。
「!」
ハッ、と顔を上げると、真っ黒な着物に紺色の帯を締めた人影が歩いてくる。
「…。気付くはずないよね」
あやうく消えない期待感に、ぬか喜びさせられそうになって、ハルは目を伏せた。そうしている間に、影はハルの目の前まで来ていた。
「おい。人にイタズラするのも程々にしておけよ」
「え…?」
またサッと上を向くとぼさぼさの頭が斜めに傾いた。どうやら男の子のようだ。
ハルは後ろと左右を見渡した。
「他に誰かいるっけ?」
その言葉に、ハッと目の前の少年を見る。
「わたしのこと見えてるんだね!!」
男の子の言葉を聞いた瞬間、ハルは思わず飛び上がっていた。
「やったぁ!」
「な、何??」
ぼさぼさ頭はハルのあまりの喜びっぷりに引いているようだったが、ハルはそんなことお構いなしでぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
「お、おい!ちょっと落ち着けって!」
「ご、ごめん!わたし嬉しくってつい…!」
ハルは目の端の涙を拭いながら言った。
「わたし、幽霊なんだけど。今まで誰も気付いてくれなくて!」
気付くとハルは、男の子の手を包むように握っていた。男の子は少し赤くなって「は、はぁ」と身を引いた。ハルは握っていた手を放しながら「あ、自己紹介しなきゃ!」と息を整えた。
「わたしはハル!あなたの名前は?」
「ハチ」
と男の子は無表情に言った。
「ハチ?よろしくね!ハチ!」
ハルはもう一度、ハチと名乗る少年の手をぎゅっと握ると、もう取り乱すようなそぶりを見せず「よろしく」と無表情を貫いていた。
今までそのぼさぼさの髪の毛で見えていなかったが、ハチの鋭い瞳は、左が赤色で右が青色という特殊なものだった。
「ねぇ、ハチ。よかったら、時々、ここに来てくれたりしないかな…?」
おずおずと訪ねると、ハチは「?」と小首を傾げた。「えっとね…」とハルは続ける。
「この辺り、最近あんまり人が来ないし。その…、さみしくて。」
ハルは握っているハチの手を見つめた後、少し上目遣いにハチの顔を見た。
「少し話をしてくれるだけでいいの!ダメ…かな?」
ハチは少し考えるように自分の手に目を落とすと「いいよ」と一言、言った。ハチの無表情な顔が、微かにほころんだ気がした。
「ほんと!?」
「ああ。…今日は用事があるから」
ハチは「またな」と手を振りながら振り向いた。
「うん!またね!」
ハルも「絶対!約束だよ!」と去って行くハチの背中に手を振っていた。
ハチが去ってから、今日はいい日だなぁと、ハルはニコニコ顔が収まらないまま、ふっ、と、消えた。
四ヶ月後。
「真白、夏休みの宿題終わった?」
真白は裕子と、さんさんと太陽の照る中、農道を歩いていた。裕子は、こっちに来てからできた友達で、何かと世話の焼ける親友である。今日は小学校の恒例行事である、水泳に行って、一時間ほど泳いできたのだ。裕子は途中、駄菓子屋で買った棒アイスをなめながら、学生の長期休みの定番の質問をした。
「うん。終わったよ」
「えぇー!もう終わったの!」
真白が平然と答えると、裕子は大げさに驚いて「わたしなんて、開いてすらないよ…」と、これから待ち受ける宿題の山に絶望しているようだった。いつもならここで、宥めたり、手伝う約束などしてやるところだったが、あいにくと、今の真白にはそのようなことに気を裂いている余裕はなかった。
(結局、お父さん来てくれなかったなぁ…)
夏休みの初旬ぐらいには、こっちに遊びに来てくれると言っていたのだが…。父は来ないどころか電話すらない。
きっと仕事が忙しいのだろう。こんなこと、こっちに引っ越してくる前もたびたびあったではないか。そう考えても、やはり煮え切らない気持ちが、真白の中に渦巻いていた。
「ちょっと、真白聞いてる?」
いつの間に食べていたのか、裕子は先ほどまで半分以上残っていたアイスバーの芯棒をブンブン振り回していた。
「あ…。ごめん、なんの話だっけ?」
「だから、夏祭りの話だよ!」
真白はキョトンとしていた。
「夏祭り?」
「そうそう!夏祭り夏祭り!」
そういえば、今日の水泳でも何人かの友達が言っていたのを聞いたような気がする。
「そっか。真白はお祭り、行ったことないんだっけ?」
二人は川に架かる橋に差し掛かっていた。
「どんなお祭りなの?」
真白がそう言うと、裕子は「よくぞ聞いてくれました!」と得意げに語り始めた。
「結構大きなお祭りなんだよ!屋台もたくさん出て、太鼓も出てみんなで盆踊りを踊るんだよ!」
裕子は大きく腕を広げて、早口に説明した。
間髪入れずに「だ・け・ど!」と芯棒を左右に振った。
「なんと言っても凄いのは灯籠流し!」
「灯籠流し?」
真白はまたしてもキョトンとしてしまった。
『灯籠流し』という言葉は聞いたことがあったものの、詳しくは知らない。
川を背にして立っていた裕子が橋の中腹から、光る水面を指さした。
「この川が光に包まれて、とっても綺麗なんだよ!」
裕子はまるで祭りを誇るかのように満面の笑みを浮かべていた。
「そうなの?灯籠流し、見てみたいな」
真白も釣られて少し寂しげに笑った。川面に反射する太陽で、裕子そのものが輝いているように見えた。
「うんうん!絶対来なよ、楽しいからさ!」
真白に向かってグッと親指を突き出すと、裕子は「バス来ちゃうから、またね!」と、タタッ、と駆けていった。
もう宿題のこと忘れてるんだろうなぁと思いながらも、真白はあることを思いついた。
「あ!そうだ。お父さんに電話しよう!ええと、公衆電話は…。」
道が二手に分かれている。
左手の方は真白がいつも通う通学路になっていて、二キロほど歩くと学校につく。
右の方は昔ながらの民家や駄菓子屋が、間隔をあけて軒を連ねている。先ほどのアイスもここの駄菓子屋で買ったもので、学校帰りには裕子と一緒によく利用するので、引っ越して間もなく、真白にとって村の中でなじみ深い場所となっていった。