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アサヒチカコ
アサヒチカコ
novelistID. 50797
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わたしの声がきこえる

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「あ、そうだったんですか。私、友だちそんなに多くないので、学年がちがうとわからないかもですねー。力になれなくてごめんなさい」
 ううん全然、と言いながら、私は頬の表面を針でつつかれるような感覚をおぼえていた。「そんなに多くない」と言ったのは、気まずい雰囲気にならないように、かつ私に嘘をつくことのないように、七緒が自分なりに選んだ言葉なのだろう。私は、彼女に友人がほとんどいないことや、そのために学校以外の時間はほとんどこのハルタブックスにいるのだということを、汲子に聞いて知っている。そのことをたぶん、彼女はまだ知らない。
七緒のハルタ以外での生活が気になり出したのは、マンチカンでのアルバイトが決まったその日だ。面接を終えて、未知のものにふれる高揚感と、それにともなう緊張感とがないまぜになって、私はなんだか走り出したいような気持ちにかられていた。軽い足どりで広い通路を抜け、ビルを出たそのとき、目の前を見なれた色の人影がさっと通りすぎたのだ。重そうなスクールバッグを肩にかけた、ブレザーの制服姿。このビルの隣にあるCDショップの黄色い袋を、片手にぶらさげている。ナナちゃんだ、とすぐに気がついて、私は立ち止まった。背格好もよく似ているし、彼女に間違いなかった。けれど、そのうつむきがちな早足と、頭に装着されたヘッドフォンには見覚えがない。声をかけられずにためらっているうちに、彼女はさっさと駅の中へ入っていってしまった。そのあとすぐにハルタに顔を出すと、七緒はおなじみの明るい笑顔で働いていた。あまりにも雰囲気がちがっているので、人違いだったのだろうかと思いかけた。けれど、レジカウンターの中には、あの四角くふくらんだスクールバッグとCDショップの袋、それに真っ黒で大きなヘッドフォンが無造作に重ねられていたのだ。
数日後、七緒のいない閉店まぎわの時間をねらって、私はふたたびハルタに立ち寄った。そして汲子に、ここ以外の場所で七緒を見かけたことを話した。おどろいている様子はなかったので、汲子は何かしら知っていることがあるのだと思った私は、事情があるなら話してほしいとたのみこんだ。自分と七緒はただのお客と店員という関係性ではないと思うし、それなら自分にもしてあげられることがあるかもしれないから、と。そのときの私がいかにうぬぼれていたか、今ならよくわかる。けれど汲子は、私の演説にだまって耳をかたむけてくれ、その上で、七緒のことをしずかに語り始めた。
七緒は幼いころからおとなしい性格で、外より家の中で遊ぶのが好きなタイプだったのだそうだ。根っからのスポーツマンだった父母には彼女のことがよくわからず、あまり深くかかわらない代わりに、娘がやりたいということはけして否定せずにやらせてきたという。とにかく本を読みたがる子だったので、両親はかなりの数を買い与えたらしい。小学校に入ると、性格が似ていたり、趣味のあう友人を見つけて仲良くしていたそうだ。
 彼女の人生に変調がおこったのは、中学校に入って間もないころだ。七緒の小学校は規模がとても小さかったので、クラスは他の小学校からやってきた知らない子どもたちばかりだった。そして、それまでどおり読書をしたり、自由帳に絵を描いたりして休み時間を過ごしていた彼女は、不幸にもいじめの対象となってしまったのだ。彼女がそれまでふれてきたどんな物語の中にも、主人公の行く手をはばもうとする人間はあらわれた。けれど、彼らにはそうする理由があったし、それをきちんと相手に伝えた上で、戦いをいどんでいた。しかしクラスメイトたちはまったくとつぜん、彼女の見た目や行動をあざけりさげすむ台詞を投げつけはじめた。「なぜそんなことをするの」とたずねたり「やめて」と言っても、聞こえていないふりをしたり、にやにやと気味の悪い笑みをうかべるだけだったのだ。
 彼女はすっかり打ちのめされていた。理由もなくいじめを受けること自体に疲れきっていたし、それまで自分の心をさまざまな世界へ連れていってくれていた言葉というものが、今はこうして自分をただ傷つけるだけの存在になってしまっているという事実に、ほとんど呆然としてしまっていた。しかし、いつも通りの顔をして学校に通いつづける彼女の身に何が起こっていたのか両親に知れるころには、進級と、それにともなうクラス替えの時期がすぐ目の前までやってきていた。心配する二人に、彼女は「先生が、主犯格の子たちとはクラスを分けてくれるから平気」と言ったそうだ。
 春になると、彼女の言葉どおり、みずから進んでいじめをおこなっていたクラスメイトたちは全員違うクラスになっていた。これですべてがおさまると大人たちは安心したし、実際、彼女に対するいじめは二度と起こらなかった。それでも、彼らのわからないところで、変わってしまったことがひとつある。彼女は、家族以外の人間、とくに同じ年ごろの子どもたちに強い警戒心をいだくようになった。自然なふうをよそおいながら、相手が自分をどんなふうにみているのか見きわめようとする。安心を得られないかぎり、心を開くことはない。高校に入学してからも、その習慣は変わらなかった。学校の外に出ても、周りを気にしてせかせかしているのは、中学時代の自分を知っている同級生たちとの接触を避けるためだという。
 彼女の生き方が変わったのとほぼ同じころ、東京の書店で働いていた汲子がこの街に戻り、ハルタブックスを開業した。七緒は放課後、毎日のように通ってきてもくもくと本を読んでいた。やがて、仕事を手伝わせてほしいといってきかなくなったので、少額ではあるものの、給料はきちんと受け取ることを条件に、店に立たせるようになったのだという。
 汲子はふと、困ったように笑って、「なぜだかあの子は、私に似でしまったみたいなんだよなあ」とつぶやいた。彼女も七緒と同じように、室内で延々とひとり遊びをしているような子どもだったのだそうだ。姪の人生を方向づけてしまうようなことはしたくないと思いながらも、どうしても放っておくことができなかった。そう語る彼女の声には、ほんの少しの後悔と、それを覆いかくして余りある、大きな愛情の形が透けてみえていた。
 汲子の話を聞きながら、私は自分が中高生だったころのことを思い出していた。私は、ぱっとしない外見と引っ込み思案な性格のせいで、いわゆる「がり勉グループ」に属していた。クラスメイトの格好いい男の子にあこがれの目を向けることも許されないその状況を、私はいつの間にかこの町のせいにしていた。雑誌に載っているお店のひとつもないこんな田舎でなければ、おしゃれできれいな女の子になれていたはずなのに、と。その結果、東京に出たあとはいかに多くの男の子と交流をもつかということに心血を注ぐような生活にはなってしまったけれど、中高生だったころの私は、大嫌いなこの町で生きていくための方法を自分なりに模索していたように思う。学校がつまらなくても、欲しいものを手に入れることができなくても、どんな不平不満があっても、それを大人に解決してもらおうと思ったことは一度もなかった。そしてきっと七緒も、当時の私と似た気持ちをいだいているのではないだろうか。