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twinkle tremble tinseltown 9

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「平日の昼間っから遊びになんて行かない。代わりに毎朝オレンジを半分に切ったのを白い皿に乗せて出すわ。それで十分」
「新婚家庭みたいだな」
 マルボロをくわえた唇をねじ曲げるレスから目を逸らし、フロリーは曖昧に笑った。
「悪いもんじゃないでしょ」
 押し開かれたドアと、可憐なベルの音。クリスタがつんざくような声を出したのが分厚い樫の木越しにも分かった。
 待ち時間が伸びたのを同時に悟り、レスは短くなった煙草を地面へと落とし、踵でにじった。既に数本が、殆ど同じ場所で潰れ土と同化している。おそらくぱっと見ても分からないが、開店前に箒とちりとりを持って外に出る細っこいバーテンは気付くだろう。ほんの少しだけ、溜飲が下がった。その考えが卑しいのだとはちゃんと知っていた。


 結局それから15分程続いた無駄話で煽られたのか、レスの腕へ肩を押しつけるようにして歩くクリスタはひどく高揚していた。
「一体何があったんだって話。あの検事のところにいる運転手ね、もしかしたら本当にホモかもしれない。確かに淫売(コックサッカー)かもしれないけど、あのキャリーの誘いを断るなんてそうそうないわよ。彼女気立てもいいしね、稼いだお金殆ど実家に送ってるって」
 手にした包みの中でサンドイッチが重く揺れる。マヨネーズは既に新聞紙へと染み出し、灰色の紙を部分的に黒く変えている。身が近付く度ぷんと鼻を突くマスタードの臭い。
 突き放すどころかむしろ引き寄せる勢いで、レスはクリスタの手首に触れた。クリスタは気付いているのかいないのかあくまでも無造作なままで、持ち上げた尖った顎を今にも相手の肩へ突き刺しそうな勢いだった。
「私が男だったらあんな可愛い子ほうっておかないのに」
「そうだな」
「あんたはいちいち頷かなくてもいいの」
 首を振るレスの腕を乱暴に叩く。
「他の女とやるくらいならオナニーしてる方がまし。何ならドクとやっちゃえば?」
「する訳ないだろ」
「あたしドクのこと嫌い。顔も見たくない」
「月一回嫌でも会ってるじゃないか」
 クリスタにピルを飲むよう勧めたのは彼女を管理するべきパパではなく、レスが最初だった。
 赤の他人の子をはらむことが問題なのではない。彼は生命の誕生という事象そのものを地獄のように恐れていた。ハイスクール時代、コカ・コーラでヴァギナを洗浄すれば着床が防げると聞いたときは付き合う彼女全てに炭酸の拷問を強制した。もしもファックする前にセリーヌ・ディオンの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」を歌えばいいと医者に教えられたならば、息も切れるほど熱烈に歌いあげて見せただろう。


 だからこそクリスタが口を噤み、無意識にだが肉体的な距離を置こうと背筋を伸ばしたとき、たまらず食い付いたのだ。
「行ってないのか」
「ううん。行ってる」
 普段の歯切れよい口調が嘘に思えるほど滑舌の悪い早口で、クリスタは返した。
「知ってるでしょ」
「なら何でそんな顔」
「どんな顔だってのよ」
 一歩前に踏み出し、昨日洗ったばかりの髪を末端まで神経の通った指で掻き払う。
「ちゃんと行ってる」
「クリシー」
「大丈夫だって。さっさと行こうよ」
 さっきまで簡単に掴めた骨太な手首は、数歩先でぶらぶらと揺れている。気付けば公園の敷地に入っていた。小径に繁るプラタナスの葉が下をくぐり抜けるもの全てに陰を作り、細かなモンタージュを写し込まれた目の前の女はつぎはぎ模様を纏う。
 まるでフランケンシュタインの怪物。伸ばそうとした自らの手が同じ有様なのを忘れ、レスは思った。
「なあって」
「しつこいわよ、あんた」
 もう少し歩いて爽やかな初夏を楽しめばいいのに、クリスタの足はベンチへ向かって一直線。やっとのころで朝露が乾ききった座面に大きな尻を落とす。
 道からも丸い池からも少し離れた場所に位置するベンチは、夜になるとホームレスの格好の寝床になるのだろう。辺りには菓子の空き袋やしけもくが湿り散らばっていた。レスが腰掛けるよりも早く、その中に破れた新聞紙が加わった。
「お腹空いたわ」
 一度芽生えた不安は、些細なことにも機敏に感受する。包みから飛び出したサンドイッチはパンがしんなりとして、気鬱をより煽った。救いは間に挟まれた色とりどりの新鮮な野菜と、大口を開けてかじるクリスタの食べっぷり。

 レスはだらしなく背もたれへ身を預け、池で泳ぐアヒルに意識を移した。アヒルになりたい。アメリカの放浪する芸術家たちは殆ど全て、職にあぶれて公園のベンチに座り込むたびそう考える。アヒルは悩まない。池で泳いでいるだけでいい。
 そんなことはないはずだと、レスはいつでも思っていた。アヒルのガーガーという鳴き声は母親の怒鳴り声を思い起こさせる。レスの知る限り、母親とは決して幸せな生き物ではない。


「子供いらない?」
 不意にかけられた言葉を受けて、レスはとっさに彼女の膝へ乗せられたパンに視線を向けた。それから間違いに気づき、顔を上げる。アヒルのいる方向へと顔を固定しているのに、それを目の中へ納めているとは到底思えない表情で、クリスタはサンドイッチを頬張っていた。
「子供。そんなに嫌いなの?」
「育てられないだろ、今の状態じゃ」
 頭を突き出した苛立ちを奥歯で噛み潰し、レスは言った。
「俺は父親なんてやる柄じゃねえよ」
「あんた、いつまで経っても自分が子供でいたいもんね」
「責任の問題さ」
 あっけらかんとしたクリスタの口調に、叩き付けるように返す。唯一正論だとしがみつける言葉を。
「責任感持ってよ。持っててもおかしくないわ。だってもう30越えちゃったのに」
 クリスタが話す相手の瞳と向き合うことはついぞない。だからこそお互い、辛うじて席を立たずに済んでいた。
 だが張られた安全ネットを見下ろしながらも、たとえいくらこの話がいつも通り口先だけのものだと分かっていても、レスは一度沸き上がってしまった不安を覚ますことができなかった。
「おまえ、おかしいぞ」
 膝の上からサンドイッチを引ったくり、口に運ぶ。オーロラソースにまみれているのはレタス、たまねぎ、黄色いパプリカ、トマト、アスパラガス。これだけの野菜を一時に口にしたのは数ヶ月ぶりだった。それだけで、確かにまずくはないと感じる。
「本当に何も」
「妊娠? してないしてない」
 口ぶりに付随しない空っぽの眼で遠くを眺めたまま、クリスタは言った。
「ただ、靴擦れができたみたい」
 レスは黙って足下に視線を落とした。今初めて気付いたが、緑色をした安物のミュールは新品同様。ストラップが大きな足を締め付け、赤いペディキュアをした爪先への血流を止めてしまいそうだった。
「何で歩くって分かってんのにこんなの履いてくるんだ」
 サンドイッチを女に持たせ、返す手で持ち上げられた右足を掴む。
「馬鹿だな、おまえ」
 抜き取った靴が固い音を立てて地面へ落ちる。膝の上に乗せた足は、汗ばんでいるのに冷たい。綺麗な顔立ちに似合わず、漫画の中の原住民みたいな扁平足だった。
 赤く擦り切れ、敏感になった皮膚の周辺を指で撫でているうち、レスは漠然とした不安がゆっくりとだが小康状態にまで落ち込んでいくのを確かに感じた。
「慣らしたかったの」