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twinkle tremble tinseltown 9

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 出来る限り嫌味を含まない言い方で、先ほどと同じ言葉を繰り返す。素直に認める頷きに、溜息しか出てこない。
 世の中には苛立ちを煽る人間というものが存在する。この手の感情は、距離が縮まれば縮まるほど嗜虐心と結びつきやすい。心理学のテキストには掲載されていなかったが、学校や海軍で集団生活を送れば嫌でも目に付く。相手は必ずしもいじめられっこである必要はない。
 事実フロリーは見目もよく、男の欲情をそそる。それなのにキルケアは、時々ほんの些細なことで叱りつけたり、テーブルごと下手くそな料理を投げつけたり、公衆の面前にも関わらず頬を張りたくなるときがあるのだった。


 今も冷たい言葉で突き放し、午後からの入っている診察に備えたいとの考えが鎌首をもたげつつある。それは酷な話だと知っているし、出来る限り否定したい。行動に表す代わりに、関節が音を立てるほど手を握りしめる。
 自浄作業は間違っても簡単とは言い難いが、今は堪え忍ぶとき。口を開けばナイフが飛び出してくることは明白だったので、返事は沈黙に代行させた。

 拡散した視線は部屋全体を被覆しているようで、実際は何も映していない。フロリーの口は閉じることを知らなかった。動きを止めてしまえば全てが崩れてしまうと言わんばかりに。
「例えゲイでも、あんなハンサムな人いなかった。大理石で出来てるみたいだった。綺麗で、冷たいのに柔らかい感じで、それでもどっしりがっしりしてるの。あいつなら大丈夫、ちゃんと乗り越えて、これから先もやっていけるって信じてた。みんなそう思って励ましてたのに、固いから、重いから、引き倒されたらすぐ割れるってことに気づかなかった」
 訥々と紡がれる言葉は独り言にしては大きく、会話にしてはあまりにも詩的すぎる。
「自分以外の誰も愛してなかったから、一緒にいても気が楽だった。あのままだったら、きっと死なないで済んだのよ。でも変わっちゃった。あの画家崩れのせいで」
 まるで己のことのように唇を噛む。彼と同じ目線で立っている。自らが銃弾を受けたわけでもないのに。ようやく体温と馴染み始めた服の中で、キルケアは今にも溶けだしてしまいそうなほどぼんやりとたゆたっていた。
 昨晩遅くまで弁護士と電話していたのが堪えている。12年前に弟とビュッフェで飲んだのがカプチーノだったかカフェオレだったか、そんなことが裁判で一体何の役に立つというのだろう。うんざりしている。主に過去のことを。

 今に集中しようとしてみるが、言葉の羅列は奔流となり、他人の意識など簡単に飲み込んでいく。届けることなど最初から諦めていた。気付かれることすらないだろう。状況が状況だから、妥協するべきなのだ。
「彼をヤワにしたの、言い方が悪いけど。それまではバーでホーセズ・ネックを飲みながら瞬きするだけでどんな男でも引っかかったのに、魔法が解けた」
 カプチーノ。ジーノの店だったから。近い内にまた連絡しておかねばならない。腕が良い分依頼人も多く、この街の犯罪者を半分近く庇護している人物だ。こまめに連絡を入れなければすぐになおざりにされてしまう。高い金を払っているのだからせいぜい働いてもらわなければ。
「それってすごく恐ろしいこと。もちろん不潔な男と付き合ったからって……別に相手が不潔だった訳じゃないけど。とにかくルーイまで汚くなることはなかった。相変わらず美男子だった。けれど心はもう、私の知ってるあの天使みたいに冷たくて泰然としたルーイじゃなくなってしまった。怖いのよ。それが。頭を掻きむしりたくなるくらい。何故なら私たち、最初彼の変化を祝福してた」

 揃えた肉付きの良い脚を斜めに崩し、震える声をハンカチの中に染み込ませる。露出の少ない装束の中、唯一見える首筋と手首の白さ、細さ。落ちた肩から立ち上るナフタリンの匂いと混ざって、尽きた言葉の余韻が彼女の体を包み込んだ。右の付け睫が取れかけている。布の隅で目頭を押さえる度にぺらぺらと揺れる房の動きが先ほどから気になって仕方がないのだが、キルケアもむずむずと尖る唇を封じるだけの分別は持ち合わせている。
 接着剤の向こうに見える、血管の透けそうな程薄い瞼。取り立て色白という訳でもない彼女が、こんな部分を隠し持っていたと初めて気付く。

「悪いことなのかしら、ねえ。そんなの嫌よ。私、わたし」
 口先はもどかしげに次の動きを待ちかまえている。けれど理論はもう、とうに失われてしまった。彼女の瞳がどんどん内側へと潜り込んでいくのを、キルケアは悲しみのみが篭もった眼差しで見つめていた。
「いや」
「ああ、そうだね」
 こぼれる溜息に悪意を込めたつもりはない。相手もちゃんと意図通りに受け取ったようで、キルケアがのろのろと尻をデスクから持ち上げても身構えようとはしなかった。皺の寄った明細書が一枚、床に落ちる。モップ掛けはまだ済んでいないから、昨日の髪の毛や塵が落ちている。


 近づいて腕を伸ばせば、フロリーは自らこめかみをキルケアの胸へ押しつけた。火照った皮膚、溢れ出る分泌液。セックスの時よりもずっと、しっくり馴染む。
「悪いわけじゃないよ」
 小さな形良い頭蓋骨を掌でさすっている間に、眉間へ皺が寄る。あばずれ女、したたかな女。
 けれど同時に、こんなにも情緒や感受性が豊かな女であったのだ。
 獣のような唸りの中に意味のある羅列を見つけ、日に焼けない旋毛を見下ろす。
「お花代、出さないと」
 撫でる手を押し下げるよう、ぐちゃぐちゃの顔を持ち上げる。
「細かいの、貸してくれない?」
「幾ら」
 首を振り振り尋ねれば、再び腹に頬を当て「30ドル」と返ってくる。手を伸ばし、キルケアはデスクの引き出しを開いた。皺くちゃの紙幣を三枚掴み出して掲げれば、すばしっこい手つきで引き取られる。

 金を手にした人間が出して良いとは到底思えないような嘆息を漏らし、フロリーは膝に乗せていたハンドバックに得物をしまった。
「何が起こるか、本当に分かんない世の中ね」
 ひたりと寄せられた肉体は離れようとしない。何なら、このままでいることだって十分可能なのだ。告別式なんか関係ない。


 この女と結婚することになるのかもしれない。キルケアはふと思った。今は悲しみに暮れているが、だからこそ彼女ならこの感情をきっと共有できるだろう。彼が出来ない分までも。そうでなければ、その時は――

 その時まで、しばらく閉じこもっているしかない。精一杯悲しみに浸ったふりをしながら、キルケアは鳴り続ける鼻声の不快さと戦う作業に没頭した。