愛を抱いて 24
しかし、私は膝を突いただけで、膝から下を立てる事はできなかった。
世樹子は黙ってテレビを見つめたまま、片手で私のセーターの肘をしっかり掴んでいた。
「いや、まだ我慢できそうだな…。」
そう呟きながら私は座り直し、煙草を1本くわえた。
バス・タオルを巻き付けた姿で、フー子はバス・ルームから出て来た。
「こんな恰好で御免なさい。」
そう私に云いながら、彼女は鏡台の前に座った。
「鉄兵君、トイレに行きたかったんじゃないの?」
世樹子はテレビから視線を離さずに云った。
「ああ…、そうだった…。
フー子、トイレ貸して…。」
「どうぞ。
でもまだ湯気が籠もってるわよ。」
「そう…。
じゃ、止めた…。」
行きかけてまたテーブルに戻る途中、私は素早く鏡の中を覗き視た。
「何だ…。」
私は呟いた。
「何が…?」
フー子は鏡台から離れながら訊いた。
「いや…、タオルの下に、ちゃんとショーツだけは…。」
突然、背中に激しい衝撃と痛みを感じた。
世樹子の手であった。
フー子はベッドの布団の中に潜り込むと、トレーナーとジャージを身に着けて出て来た。
「鉄兵もシャワー使って。」
「俺は、いいよ。」
私は背中を摩りながら答えた。
「でも明日、合コンでしょ?
銭湯に行けないんじゃないの?」
「合コン?
何で…?」
「何でって、そうなんでしょう?」
「あら、もしかして、鉄兵君忘れてるの?
酷いわ…。」
「え…?」
「世樹子のクラスの娘達と、鉄兵達で合コンするの、明日でしょう?」
「ああ…。
そう、明日だっけ…?」
「本当に忘れてたの?」
「いや…、御免…。」
「ヒロ子達、ずっと楽しみにしてたのよ。
大丈夫なんでしょうね?
明日…。」
「ああ、勿論さ。
淳一は来れないって、云ってたけど…。」
「あら、淳一君、来ないの?」
「うん、外せない用事があるらしい…。」
「じゃあ、そちらは4人?」
「いや、ちゃんと1人補充してあるから、心配は要らない。」
「そう…。
もう忘れないで頂戴ね。
明日なんだから…。」
「いいわねぇ、合コンなんて…。」
「でも鉄兵君は乗り気じゃないのよ。
私がいるから…。」
「そんな事ないさ…。」
「鉄兵、世樹子の前で浮気しちゃ、駄目よ。」
「私に遠慮しなくていいのよ。
鉄兵君。
とっても可愛い娘達ばかりだから…。」
「駄目よ。
他の娘達は仲間の人に任せて、鉄兵は世樹子を退屈させない事だけを考えてれば良いの。」
「それじゃあ、あまり鉄兵君に悪過ぎるわ。
元々鉄兵君は、ファミリーの私達とは合コンをやらないって主義だったんですもの。
でも、ヒロ子達のたってのお願いを聞いてくれたのよ。」
「そうなの?
じゃあ、私達美容学校の女はとても相手にしてもらえないかしら…?」
「そんな事ないんじゃない?
さっき、フー子ちゃんのタオル姿を見せてもらってるから、絶対厭とは云えないわよ。」
「そうね…。
私、恥かしいのを一生懸命我慢して、サービスしたんだものね…。」
私は既に聴く耳を捨て、「樹氷」の水割を呑みながら、テレビに視入っていた。
ユニット・バスを出て、フー子のヘア・ブラシを借りた後、私は再びグラスを手にした。
「でも、あなた達も、よくやるわね…。」
フー子は「樹氷」のスプライト割を、美味しそうに呑みながら云った。
「あなた達じゃなくて、俺に云ってんだろう?」
「私がいけないのよ、みんな…。」
世樹子は焼酎に炭酸と氷を混ぜ、レモンを浮かべて呑んでいた。
「ファミリーのみんなには、いつまで隠しておくつもり?」
「今までの事は、永久に黙ってるさ。」
「そうね。」
「近々、香織と手を切るから、そしたら…。」
「鉄兵を視てると本当、心のままに、って感じがするわ…。」
「俺って、本能のみで生きてるから。
でも、そう云う君だって、いざとなったら何も顧みなくなるさ。」
「そんな風にできたら、とっても素敵だと思うけど、私にはきっとそこまでは無理だわ。」
「そんなはずはない。
君はわざと自分の心に、足かせを履かせてるんだ。
大体君は、こんなに人間の多い街で暮してるってのに、浮いた話がなさ過ぎる。
君程の女が…。
多分俺の知らない処で、結構甘い蜜を吸ってるんだろうが…。」
「厭だ…、私、どこでも吸ってないわよ。」
「…もし、それが本当なら、それは罪だぜ。
東京に生活する、若い全部の男に対する罪さ。
君には、男に関心を示す義務があるんだ。
綺麗な女はみんな、その義務を認識してもらわなくては困る。」
「…ありがとう。」
フー子はグラスを頬に当てながら、微笑んだ。
「いや、たださ…、俺には前から…、君は誰よりも自由な心を持っている、そんな気がしてるんだ。
本当だぜ。」
「そう…?
私、自分ではとても、あなたの様に振舞う自信はないわ。」
「今はそうでも、きっといつか…、そう遠くない内に…。
だって、君は気づかない振りをするけど、君の心は翔びたがってるんだ。
どこまでも、自由に…。」
「無理よ。
私には…。
とても、そうは思えないわ…。」
「云っとくが、俺の眼は確かだぜ。
特に女を視る眼は…。
君が誰よりも淋しがり屋なのは、今にも翔んで行きそうな君の心を怖がってるからなのさ。
だから誰かそばに居てくれないと、不安なんだ…。」
その夜、私と世樹子はそのままフー子の部屋に泊まった。
彼女達はベッドで、私は下に布団を敷いてもらい、眠った。
「こら!
大学生!
いつまで寝てるんだ!」
フー子の声で眼が醒めた。
「…あ、…御免。
もう…、出かけるの…?」
私は反応の鈍い身体を、慌てて起こそうとした。
「まだ、いいわよ。
もうしばらく…。
コーヒー飲むでしょ?
缶コーヒーだけど…。」
「あ…、わざわざ買って来てくれたの…?
悪いね…。
ありがとう。」
既に世樹子の姿はなかった。
「世樹子は帰ったのか…。」
「ええ。
くれぐれも2度とド忘れしない様、言づかったわよ。」
フー子はメイクを済ませ、服も着替えていた。
「寝過ごしたな…。」
「鉄兵は土曜、授業ないの?」
「まあね。
専門を1つ入れてるけど、土曜は誰も学校には行かないよ。」
「さすがねぇ、大学生は…。
食欲あるかしら?
パンが焼いてあるんだけど…。」
フー子は立ち上がって、台所の方へ行った。
「え…?
勿論あるけど…、俺が食べ始めちゃって、フー子、時間はいいのかい?」
「いいのよ。
気にしないで。」
私は自分の寝ていた布団をたたんで、押し入れに入れようとした。
「あ、2つに折って、その辺に寄せといてくれればいいわ。
埃が立っちゃうから…。」
朝食の乗ったトレイを持って、彼女は云った。
私は布団から手を放して、テーブルをテレビの前へ持って来た。
「何か悪いな…。
泊まった上に、朝食まで…。」
「あら、前期の頃は、よく柳沢君とやって来て、夜食を食べて行ったじゃない。