物語
「もし、χが100個だとしたって、私は一個も他の子にあげてほしくはないです。先生は、χが無限大だとしたら、わたしが貰える分は減りはしないのよと仰りたいのでしょうけれど、わたしはχが無限大ならその無限大全てを私に貰いたいです!たとえ一個だって、B子ちゃんやC子ちゃんにあげたら嫌です!」
「そう、りんちゃんは、ひろくんが大好きなのね」
「はい。そうです!」
りんちゃんは誇らしくそう言って、ひろくんを見つめました。
ひろくんは困ったように頬杖をついて、手で口と鼻を隠して恥ずかしそうにしていました。
「先生にもあったわそんな時が…あれは18の頃だったかしら…」
先生は遠い目をして窓の外を見つめました。
「せんせーい!たそがれてないではやくしてくださーい!」
「あら、ごめんなさいね、おほほほほ…」
先生は恥ずかしさをごまかすように笑ってから、言いました。
「りんさん。でもね、ひろくんには、お父さん、お母さん、それから、可愛い妹さんもいるでしょう。それから、お友達だって沢山いるわ。もしも、りんさん一人が、ひろくんの気持ちを全部貰うのだとしたらそれは、ひろくんの周りの人が悲しみはしないかしら?」
「それは別にいいんです。家族とか、友達とか、わたしを好きな気持ちとは違う気持ちだし、あげてもいいんです」と、りんさんは言いました。
「そう、人への気持ちはそれぞれ違うというのね。それなら、ひろくんがB子さんや、C子さんにあげる気持ちも、りんさんにあげる気持ちとは違うのだから、別にいいんだとは思えない?」と先生が聞くと、
「思えません!」
りんちゃんはきっぱりと言いました。
「第一、ひろくんの気持ちがむげんだいすうかどうかなんてわからないし。もし、数に限りがあるなら、B子ちゃんにあげる数がちょっとづつ増えて、私のがなくなっちゃったりしないかってとっても怖いです。だから、私は捕られないように見張っていなくちゃならないし、ひとつでもたくさん欲しいんです!」
「そうですか。数に限りがあると考えたら、とりあいっこが始まってしまいますね。それから、りんさんはそれが欲しくて我慢はできないのですね…」
りんちゃんは静かに席につきました。
すると、一人の男の子が立ち上がり言いました。
かいくんでした。
「先生、僕も、その式、嫌いです」
「なぜ?なぜそう思うの?かいくん」
「はい。僕は、χをお母さんが僕を好きな気持ちに例えて考えてみました。ぼくのうちには、2ヶ月前に生まれたばかりの弟がいます。例えば、お母さんが僕を好きな気持ちを10だとすると、僕が一人の時はまるまる10個ぜんぶを僕が貰えていたのに、弟が生まれてからは、弟と僕とで割って、一人5個ずつになっちゃったんです。5個ずつならまだいいです。弟が泣いて、お母さんが抱っこしている時間が長いときに待っている時なんか、弟が7個で、僕はたったの3個ぼっちくらいに思えてくるんです」
そう言うかいくんの目から、大粒の涙がポトリと教科書の上に落ちました。
「むげんなんてうそです」
教室が、しいんと静まり返りました。
「かいくんのところは弟さんが生まれて、お母さん、お忙しいのものねえ。かいくん、確かにお母さんが弟さんを面倒見ている間、かいくんは待っていなければならなくて辛いわね。でも、それは本当に、お母さんの好きな気持ちが、7個と3個なのかしら?かいくんのお母さんは、弟さんが生まれる前は、起きている時間のほとんどをかいくんのために使ってくれていたかもしれないわね。でも、弟さんが生まれたらそういうわけにはいかないわよね。時間には限りがあるものね。お母さんが二人いれば、かいくんと弟さん、二人いっぺんに相手もできるでしょうけれど、お母さんの体もひとつきりですもの。時間は、7個と3個になってしまっているかもしれないけれど、それはかいくんを好きな気持ちが7個と3個になってしまったことになるのかしら?」
先生は、かいくんの隣まで歩いてゆき、かいくんの肩に手を優しく置いて言いました。
「かいくん。私はかいくんのお母さんが参観日にいらした時なんか、かいくんの事を熱心に尋ねられて、よく知っているけれども、かいくんと弟さんを好きな気持ちを7個と3個にするようなお母さんではないと思っているわ。それから、かいくんはお母さんのかいくんを好きな気持ちをたったの10個だとおもうのかしら?」
かいくんは、俯いて、すこし考えてから、首を横に振りました。
りんちゃんが急に明るく話しかけました。
「ねえ、かいくん。かいくんのおかあさんのχはむげんだいすうかもしれないわよ!」かいくんを励まそうとしたのです。
「そうだわ。それに、もしかしたら、弟くんが生まれた時に、お腹をぽんとたたいて、もう10個キャンディーみたいに気持ちが増えたのかもしれないじゃない?!きっとそうよ!」と、みいちゃんも言いました。
「まーた、みいはキャンディ、キャンディって食いしん坊だなあ。でも、きっとそうだ。ね、かいくん」たかくんがいいました。
教室のみんなも、そうだ、そうだ、と声を合わせて拍手しました。
先生が、微笑んで、歩き出そうとすると、かいくんの隣の席に座っていたそらくんが、先生の隣で言いました。
「先生、僕の母親は、僕が生まれた時に、兄を連れて家を出て行きました。僕は、そんなキャンディーを一度も貰えたことはありません」
そらくんは、静かに、けれど悲しいという風でもなく、真面目な顔で言いました。
教室がまたしいんとなりました。
先生は、そらくんの肩にも手を置き、肩を優しく撫でました。先生はゆっくりと前へと歩いてゆきました。
「さあ、皆さん。最後の問題にいきますよ」
先生はまた、黒板に式を書き始めました。
「さあ、これが最後の問題です」
χ-(A+B+C+D)=χ×(A+B+D)
「皆さん。今までお話ししてきたことを思い出して、この式を考えてみて下さい。この式から何を感じとることができますか?ちなみに、アルファベッドは0でもマイナスの数でもありませんよ」
「せんせーい!Cがなくなってまーす!」けんくんがいいました。
「そうですね。=の後に続く式からCが抜けていますね。なくなってしまう、そんなこともありますからね」
「引き算が、かけ算になってまーす!」ぼんちゃんが言いました。
「そうです、引いたのが、なぜか、倍になっていますね」
「皆さん、実は、この式は先生が書いたでたらめに近いものです。先生が今まで生きてきて、どうもこんな式ができそうだわと勝手に作ったものです。けれど、皆さん、もしこの式が、本当になりたつとしたら、そこに何が見えてきますか?」
「χからABCDを引いた答えと、ABDを足して、もともとのχに掛けたものは、Cが抜けたとしてもおなじ…?χは減りはしないってこと…?」そらくんが呟きました。
「χからAやBやCを引く、つまりχからAやBやCにあげた場合、それはいったいどういうことと同じなのか考えてみて下さい。あげると損をしたような気持ちになりますが、こんな式が成り立つのならそんなことはないと思うのですよ先生は」
作品名:物語 作家名:BhakticKarna