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愛を抱いて 20

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色彩の氾濫した今の街に、あれは不快感こそ起こさせても、決して快い感じは湧かせない。
電車に乗っていて、駅に停まりドアが開いて、ドッと学生服の集団が乗り込んで来た時…、あれは本当に鬱陶しいものだ。
俺には彼等が、街のゴキブリに見える…。」
云い終わると川元は、ソルティ・ドッグを呑み干した。

 「浜田省吾…? 
まあ、名前は知ってるけど、あまり聴いた事ないな。」
「私、はっきり云って嫌いよ。」
「どうして? 
私、『片想い』とかとっても好きだけどな…。」
世樹子は云った。
「それで、コンサートはいつあるの?」
「えっと…、来年なんだけど、1月12日。」
「私はパス。
オフコースのコンサートに、3つ以上行きたいと思ってるのよ。」
「俺もやめとく。
ほとんど唄は知らないんだ。」
世樹子は哀しそうな表情になった。
「鉄兵君は…?」
「俺は好きだよ。
『丘の上の愛』なんて良いよな。」
「ねえ、良いわよねぇ…! 
コンサートは観たくない…?」
「観たいよ。」
「へぇ、あなた浜田省吾なんて好きだったの?」
「うん、『傷心』も好きだし、それに彼と俺は同郷なんだぜ。」
「世樹子、良かったじゃない。
連れが出来て。」
「私、一人でも行くつもりだったわよ。
できたら、アリーナに座りたいな…。」
「発売開始はいつだい?」
「18日、日曜日よ。」
「じゃ、土曜の夜はサン・プラに泊まり込みだ。」

 「サウスポー」を出る時、レジに立った若い店員が「何のサークルですか?」と我々に尋ねた。
すぐに答える者はなかった。
「ナ・カ・ノ・ファ・ミ・リー…?」 店員がトレーナーの文字を読みながら云った。
「そうです。
『中野ファミリー』です。
知らないですか?」
「ええ…。」
「あなた本当に、中野ファミリーを知らないんですか? 
驚いたな…。」
「嘘? 
中野ファミリーを知らないですって…?」
「信じられねぇな! 
中野の人間じゃないでしょ?」
「いえ、中野に住んでますけど…。」
「中野に住んでて、中野ファミリーを知らない…? 
俺達をからかってんじゃねえの?」
「いえ…、済みません…。」
「WE ARE,NAKANO FAMILY!」
確かに、我々は酔っていた。

 ヒロ子がもう帰らなくてはならないと云い、我々は中野駅へ行った。
「ヒロ子ちゃん、残念だな…。」
「夜はこれから、なんでしょ? 
知ってるわ。
でも、今夜は帰らないと都合が悪いのよ。
御免なさい…。」
「ヒロ子は自宅だから、色々大変よね。」
「電車に乗ったら、トレーナー脱いじゃうつもりかい…?」
「このまま、着て帰るわよ。
約束だもの。
朝まで、ずっと着てるわ…。」
改札を通り抜けて行くヒロ子を見送った後、我々は三栄荘へ戻るため、北へ足を向けた。
まだ明りの消えない街並の間をワイン・カラーに染めて行く我々を、サン・プラが黙って見下ろしていた。




              ┏━━━┓
     ━━━━━━━━━┛   ┗━━━━━━━━━ 

                    
     ━━━┓ NAKANO FAMILY ┏━━━              
        ┃    SINCE 1981     ┃       
        ┃               ┃       
        ┃   WE ARE        ┃       
        ┃   HIROKO,NOBUKO    ┃       
        ┃   KAORI,FUSAKO     ┃       
        ┃   SEKIKO,HITOMI    ┃       
        ┃   KENJI,HIROSHI     ┃       
        ┃   TOSHIHIKO       ┃       
        ┃   AND TEPPEI.     ┃       
        ┃               ┃



                          〈三九、トレーナー発表会〉






40. サン・プラの前から  ~淋しさ、風の様に~




── あの人の事など  もう忘れたいわ
   だって  どんなに想いを寄せても
   遠く叶わぬ  恋だもの…

   気がついた時には  もう愛していた
   もっと早く  サヨナラ云えたなら
   こんなに辛くは  なかったのに…  ──




 世樹子は「片想い」という唄が好きだった。
「まあ、女の子に受けそうな唄では、あるな…。」
私は云った。

 10月17日の深夜、私は毛布を胸に抱いて、世樹子と三栄荘を出た。
「それにしても、柳沢と香織ったら冷たいよな…。
コンサートには行かなくても、泊まり込みには付き合ってくれると、思ってたが…。」
「仕方ないわよ。
香織ちゃんは明日、大事なオーディションの日だし…。」
香織は翌日、劇団のオーディションを受ける事になっていた。
「もう夜は寒いわ。
誰だって、外にいたくはないでしょう…。
鉄兵君だって、その…、無理をしてくれてるのなら、いいのよ…。
厭だったら…。」
「アリーナでコンサートを観たいんだろ?」
「ええ…。
そうだけど…。
でもアリーナでなくっても、コンサートに行ければ充分なのよ…。」
「俺はアリーナでなくっちゃ、厭だぜ。
君こそ、無理せず部屋にいれば良かったものを…。
俺は1人でも泊まり込みに行くよ。」
「…そう。
じゃあ、鉄兵君1人じゃ可哀相だから、私も付き合ったげる。」
「悪いね…。」
世樹子は笑顔を見せた。

 サン・プラの前には、既に数人の人間が来ていた。
「浜田省吾のチケットですか?」
皆、若い女性だった。
「ええ。
そうですよ…。」
私は彼女達の隣に、毛布を1つ敷いた。
「まあ、2枚も毛布を持って来るなんて、準備が良いのね…。」
一番そばに座っていた、赤いサテンのジャンパーを着た女が云った。
「そっちは、何も持って来なかったの?」
「お菓子とジュースだけ…。」
「夜明け前は、きっと冷え込むぜ。
大丈夫かい?」
「大丈夫、気合入ってるもの。」
「ほんと、そうみたいね…。」
世樹子が感心した様に云った。
時計は午前零時を少し廻っていた。
中野サン・プラザの西側の非常口の周りは、通り行く人もなく、街灯だけがひっそりと佇んでいた。
ただ、中野通りを行きかう、多くはタクシーであろう車の音が、途切れ途切れに聴こえて来た。

 午前1時を過ぎた。
向う側の何人かは、既に眠っている様子だった。
世樹子はサテンのジャンパーの女と、その隣の薄いダウン・ジャケットを着た女と一緒に、浜田省吾やミュージック・シーンに関する話を盛んにしていた。
私は分けてもらったお菓子をムシャムシャ食べていた。
「よお、生きてるか?」
作品名:愛を抱いて 20 作家名:ゆうとの