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愛を抱いて 20

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顔を上げると、柳沢と香織が立っていた。
「凍死したら可哀相だと思って、さらに毛布を持って来てやったぜ。」
柳沢は手に抱えていた毛布を、私の前に置いた。
「はい、差し入れ。」
香織がセブン・イレブンの袋を差し出した。
「サンクス。
ちょうど良かった。
毛布はあっちの彼女達に掛けてやってくれ。」
柳沢は再び毛布を抱えると、隣へ行った。
「二人きりで凍えてるかと思ったら、何か随分賑やかね。」
香織が云った。
既に我々の反対側にも、人が沢山座り込んでいた。
「香織ちゃん、ありがとう。
でも早く休まなくて平気なの? 
明日のオーディション…。」
「まあね。
どうせ受かりっこないから…。」
「香織ちゃんは受かるわよ。
絶対…。」
「ありがとう。
世樹子もね…。
あなたこそ、早く休んだ方が良いわよ。
それにしても…、眼が冴えちゃって眠くならないのよね。
緊張しちゃってるのかしら…?」
「毎晩、俺達のせいで遅くまで起きてるから、急に早寝ができないんだろう?」
「それは云えるわね…。」
柳沢と香織はしばらく座っていたが、やがて腰を上げた。
「じゃあ、お言葉に甘えて、帰って休ませてもらうわ…。」
「柳沢は俺達と一緒に泊まれば…? 
たまには外で寝るのも良いぜ。」
「ああ。
そうしたいのは山々なんだが、久保田を一人で帰らすわけには、いかんだろう…?」
「それじゃ、頑張ってね。」
柳沢と香織は帰って行った。
「君も明日、何かあるのかい?」
香織の云い方が気になって、私は世樹子に尋ねた。
「えっ、…まあね。
そう言えば、英検を受ける事になってたかしら…。
でも私のは、どうでもいいのよ。
暇だったら受けようと思って、申し込んだ分だから…。」
「しかし…。」
「チケットの方がずっと大事なのよ。
本当に、あっちはどうでもいいんだから…。」
「明日は、もう今日か…、試験を受けないつもりかい?」
「受けなくったって構わないわ。」
「検定料は支払ってるんだろ? 
よし、取り合えず送って行こう。
帰って休んだ方が良い。
場所は彼女等にキープしてもらっとくから…。」
私は立ち上がろうとした。
「そんな事、いいわよ。
今夜は、ここに泊まりたいの…。」

 午前2時を過ぎた頃、聴こえていた周りの話し声もすっかり途絶えてしまった。
私と世樹子は胸まで同じ毛布に入って、寄り添っていた。
「もう眠った方が良い。
そして、今日はちゃんと英検を受ける事だ。」
「ありがとう…。
鉄兵君は?」
「俺はまだ眠くないから。
環境の違うせいかな? 
でも、1人で妄想に耽って楽しめる体質だから…。
君は遠慮なく寝ていい。」
「私もまだ眠くないわ…。
少し環境が変わったぐらいは平気な方だけど…。」
「そうだ、枕を持って来るのを忘れたな…。
頭、痛くない?」
「いいえ、平気よ…。」
「実は…、さっきから俺の左腕が君の胸に触れていて、感じてしまって仕方ないんだ。
上に上げても、いいかい?」
「あ、いいわよ。
御免なさい…。」
世樹子はしっかりと寄り添っていた身体を少し遠ざけた。
「それで、上げたこの左腕が邪魔だから、できれば枕代りに使って欲しい。」
彼女は微笑んだ。
「じゃあ、使わせてもらおうかしら…。」
彼女はまた身体を寄せた。
「痛くなったらすぐ、勝手に腕を外してね。」
「うん、そうする…。」

 向かい側の低い建物の上に、静かな闇が広がっていた。
夜の空気は次第に透明になり、全てのものの真実の姿が視えて来そうな気がした。
「なぜ君は、誰とも付き合わないんだい?」
私は云った。
「誰とも付き合わないつもりなんて、ないわ。
私だって付き合いたいわよ。
相手さえいれば…。」
「相手は幾らでもいるだろうに。」
「いないわよ。
私は…、あなたと違って、相手は1人いれば充分よ…。」
彼女の「あなた」という言葉に、私は心を動かされた。
香織等は、誰に対してもこの言葉を使ったが、彼女が口にするのを聴いたのは、それが初めてであった。
「淋しくはないかい?」
「淋しいわ。
いつも…。
部屋には香織ちゃんが居てくれて、三栄荘に行けばみんなと夜を過ごせて…、でも、いつも心が、淋しさの上に浮かんでるの…。
身体の中をいつも、風が通り抜けて行くみたいなのよ…。」
「この際、誰かと付き合ってみるべきだよ。
例えば、俺なんて、どう…?」
「鉄兵君と…? 
駄目よ。」
「やっぱり俺じゃ、基準に合格しない?」
「…満点だけど、鉄兵君には香織ちゃんがいるわ。」
「そうか、合格してたか…。
嬉しいな…。
でも悪いね。
君や香織より先に、一人で合格しちゃって…。」
彼女は、遠くて柔らかな笑みを零した。
「私は、あなたの基準にどうなの…?」
「俺は基準を設ける資格のない男だから…。
ただ、恐れ多くも、理想を云わせてもらえば…、色が白くて、髪が割と長くて、瞳が綺麗で、名前が『世樹子』なんて言ったら最高だな。
そして…。」
彼女は懐かしそうに微笑んだ。
「まだ、あるの?」
「うん、もう1つだけ。
そして、唇の淋しそうな女の子さ…。」




── 淋しさ  風の様に
   癒されぬ心を  持て遊ぶ…

   あの人の微笑み  優しさだけだと
   知っていたのに  それだけで良いはずなのに
   愛を求めた  片想い ──




 私は「片想い」という唄については、多くの批判を述べた。
しかし、彼女はその唄が好きだった。


                         〈四〇、サン・プラの前から〉
※引用:浜田省吾「片想い」


作品名:愛を抱いて 20 作家名:ゆうとの