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愛を奏でる砂漠の楽園 01

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 ◇ ◇ 


「まさか、こんな事……」
 先程まで胸に抱いていた赤い花が、地面へと散らばる。
 テントの前へと辿り着くと、ユスフは目の前を見つめたままその場から動く事が出来なくなってしまった。
 目の前で起こっている事が現実であると思いたくない。森の中へと入った事により、異世界へと迷い込んでしまったのだと思いたい。――少し前までいつも通りであった筈だというのに、テントは激しい業火へと包まれていた。
「痛ッ!」
 肌にちくりとした痛みを感じ、痛みを訴える小さな声を零した。飛び散っている火の粉が、肌へと触れたようだ。それが分かると共に、ユスフは呆然としている場合では無いという事へと気が付いた。
 皆が無事であるのかという事を確かめなくてはいけない。燃焼熱によって頬が焼けるように熱くなっている事も、煙を吸い込む事による息苦しさも気にする事無く、一座の者達の姿を捜した。しかしどんなに捜しても、一座の者達の姿を見付ける事はできなかった。
 皆逃げ遅れてしまったという事なのだろうか?
 そんな事などある筈が無い。
 火の回りが早かったとしても、全員が逃げ遅れる事などあり得ない事でしか無い。だがテントの周りには人の気配すらも無い。
 一体どういう事なのだ?
 訳が分からないという感情と、皆を失ってしまったのかもしれないという恐怖から、ユスフはこれ以上動く事が出来なくなってしまう。
「全員確認したと思っていたが、まだ残っていたのか」
「……え?」
 呆然と立ちつくしているユスフの耳に、聞き覚えのない男の声が流れ込んで来た。
 いつの間にか背後へと立っていた男が誰であるのかという事を確かめる前に、後ろから強引に手首を掴まれてしまう。
「何を――!」
 手首を掴まれた事に驚いていると、腕をそのまま後ろへと引っ張られる。引き摺られるようにして後ろへと向く事によって、ユスフの瞳に身なりの良い複数の男達の姿が露わとなった。
 背後へと立っていたのは、一人では無かったのだ。
 この辺りで暮らしている者であるとは思えない身なりをした男達が誰であるのかという事が分からず、戸惑いがちに視線を彷徨わせている途中、ユスフの視線が男達が纏っている裾の長い白い胴衣で止まる。
 男達の胴衣には、まるで返り血を浴びたような鉄錆色の汚れがあった。その事へと気が付いた後、彼らの頬などが煤で汚れている事だけで無く、――鮮血がぽたぽたと地面へと滴り落ちている刀が手に握られている事へと気が付いた。
 目の前が一抹の光さえ無い暗闇に覆われていく。
 目の前で起きている惨状は、この男達が引き起こした物であるとしか思えない。そして、男達が手にしている刀から滴り落ちているのは、少し前まで笑いかけてくれていた者達の血であるとしか思えない。
 目の前の男達は一座の者達を惨殺した後、テントを焼き払ったのだ。それが分かると、まるで洪水のようにユスフの中へと様々な感情が押し寄せて来る。
「――嫌ぁああああ!」
 許容範囲を超えた感情を押し出すようにして、ユスフは大きく目を見開いたまま絶叫した。
 だがどんなに叫び声をあげても、沸き上がっている感情が薄れる事は無かった。それどころか様々な感情が混ざり合い、どんな感情が沸き上がっているのかという事さえも分からなくなっていくだけであった。
「――痛ッ!」
 頬に鋭い痛みを感じ、ユスフは叫び声を止めた。
「五月蠅いぞ」
 そう怒鳴られた事によって、腕を掴んでいる男に頬を手の平で殴られたのだという事が分かった。
 怖い。これ以上声を上げるような真似をすれば、苛ついた表情へとなっている男に殺されてしまう事となる。
 痛みを訴える声だけで無く叫び声さえも恐怖によって奪われてしまったユスフは、怯えを滲ませた目で、腕を掴んだままとなっている男の顔を見上げる事しかできない。
「ん?」
 ユスフが顔を上げた事により、腕を掴んでいる男の眉がひくりと動く。
 普通の状態であれば、男の表情が変化したのが、長い前髪が横へと流れた事により、他の人間とは違う部分が露わとなったからであるという事を察する事ができただろう。しかし今のユスフには、そんな事へと気が付く余裕さえも無かった。
「ほら、見てみろ」
「ああ、本当に居たんだな。流石、全てを見通す事ができると言われているあの御方だ」
「しかし、初めて見たがどうなっているんだ」
 男達が交わしている会話を聞く事によって、ユスフは漸く他の人間とは違う部分が露わとなっている事へと気が付いた。いつもならば、迷うことなく長い前髪で他の人間とは違う部分を覆い隠していただろう。しかし今は、そんな事すらできなかった。
 ただ黙って男達の視線を浴びている事しかできないでいると、腕を掴んでいる男とは別の男の手が頬へと触れる。
「……うッ」
 男の手が触れた場所にぞわぞわとしたものを感じ、肩を大きく揺れ動かす。嫌悪を感じている事を示すユスフの反応を気にする事無く、次々に男達が顔を覗き込んで来る。
「気味が悪いな」
「だが、顔立ちは悪くは無いな。いや、極上だと言った方が良いだろう」
 顔をじろじろと見られた後、舐めるようにして全身を見回される事によって、どうしようも無い程の嫌悪感に襲われる。
 男達が何かよく無い事を考えているのだという事を察する事はできたが、まだ子供でしか無いユスフには、男達がどんな事を考えているのかという事まで想像する事ができなかった。
「これならば、命令では無くともいけるな」
「では、さっさと済ませてしまうか」
「――ん!」
 今から何が起こるのかという事が分からず身を固くしていると、手首を掴んだままとなっている男に地面へと押し倒された。恐怖によって悲鳴すらあげる事ができなくなっているユスフは、そのまま何の抵抗もする事ができず、男のなすがままとなる事しかできなかった。

 体を這いずる複数の手。身に纏っている胴衣をはぎ取られると、体を這いずるのが手だけでは無くなった。
 男達に陵辱されている中、目に留まった地面へと散らばっている花が、ユスフには血のような色をしているように見えた。


 ◇ ◇ 


 重い瞼を開くと、ユスフは微かに唇を噛みしめた。
 またあの日の夢を見てしまった。
 あの時の事を忘れる事などできない。それどころか、忘れるつもりなど無い。あの時の記憶がなくなるのは、己の存在がこの世から消え去る時であると思っている。それでも、凄惨であるとしか思えない光景が鮮明に甦った事により、ユスフは胸に何かが重くのし掛かっているかのような苦しさへと襲われていた。
 上手く呼吸さえも出来ずにいると、部屋の前に人の気配を感じる。
 弱い部分を他人に見せる事ができないユスフは、額に滲んでいた汗を拭い、寝台へと横たえていた体を引き起こした。
「おはようございます」
 体を起こすのと同時に部屋の中へと入って来たのは、四十路に近い年齢へとなってはいたが、芳紀の頃の面影を色濃く残した美しい侍女であった。手彫りの模様が施された白銀色の洗面器をそんな彼女が台へと置いたのを見て、ユスフは腰よりも長い蜂蜜色の髪を一つに纏めながら寝台から離れる。