愛を奏でる砂漠の楽園 01
ユスフが身を寄せているラクス・バラジの一座の座長であるサミーラの母親は、彼女の踊りを見た者で虜にならなかった者はいないと言われる程この地方で有名な踊り手である。そして、そんな座長の夫でありサミーラの父親である人物も、今は裏方の仕事をしているが、嘗ては有名なラクス・バラジの踊り手であった。
稽古を始めたばかりの為、確かにまだ失敗も多かったが、そんな二人の愛娘であるサミーラは、二年も前に稽古を始めたユスフが気を抜いてしまえば、追い抜かれてしまいそうな程にめきめきと上達していた。
心配する必要など全く無い。どちらかといえば、自分の方がサミーラに追い抜かれてしまう事を心配した方が良いぐらいである。
天部に富んだサミーラに追い抜かれてしまいそうな状況に焦りを感じてはいたが、ユスフは彼女に対して嫉妬することは全くなかった。それどころか、既に頭角を現しているサミーラを誇らしく思っていた。そんな気持ちが伝わったのか、漸くサミーラの表情が明るいものへとなった。
「そうだよね。母さんの子だもんね」
「ああ」
ユスフが同意すると、隣から可愛らしい嚔が聞こえて来た。
「くしゅん」
隣を見ると、サミーラが体を震わせながら両手で衣装から出ている腕を擦っていた。同じように露出の大きい服を着ているサミーラも、冷たくなっている空気に肌寒さを感じているようである。
このままでは、彼女が風邪をひいてしまう事となる。風邪などひかせる訳にはいかないと思い、ユスフは肩へと掛けていた布を、迷うことなくサミーラの肩へと掛けた。
「ユスフは寒く無いの?」
このまま素直に布を借りても良いのかという事を迷っているのか、サミーラは布を触りながら戸惑いがちにそう言った。
「そこまで寒く無いから気にしなくても大丈夫。それに、私はこう見えても男だからね。サミーラよりも丈夫にできてるんだよ」
「さっきも店のおじさんに、女の子に間違われた癖に」
からかうようなサミーラの言葉を聞き、少し前の出来事を思い出してしまった事により、ユスフは苦い表情へとなる。市場で買い物をしている最中、何所の店へ行っても、ユスフは主人に「お嬢ちゃんお使いかい」と言われていたのだ。
「この恰好だから仕方がないよ」
そう言って、ユスフは軽く視線を落とし纏っている衣装を見回した。ラクス・バラジの衣装には男と女の区別が無い。その為、服装だけでは男であるのか女であるのかという事を判断する事ができないのだ。
「それだけじゃ無いと思うんだけど?」
サミーラの言う通り店の主人に性別を間違われてしまったのは、服装だけが原因では無いという事など分かっている。
既に十三歳へとなっているというのに未だ変声期を迎えていないユスフの声は、男であるのか女であるのかという判断へと迷うようなものであった。そして、そんなユスフには男臭さというものが一切無く、少女のように体全体の線が細かった。
ラクス・バラジを舞うのならば男臭く無い方が良いのだが、それでも性別を間違われない程度にはなりたいと思っていた。
「直ぐに男らしくなるよ」
「そうだと良いんだけど」
サミーラの声色は、そんな日は訪れないと思っている事を示すものであった。追い打ちを掛けられ苦笑していた時、ユスフはある事を思い出し足取りを止める。
「どうしたの、ユスフ?」
同じように足を止めたサミーラが、不思議そうな表情を浮かべてユスフを振り返った。
「用を思い出したから、先に帰って貰っても良い?」
「良いわよ。じゃあ、これは後で返すね」
ユスフへと向かって小さく手を振った後、サミーラはテントへと向かって歩き出した。
既に一座のテントは、ここから一部を確認する事ができる程に近付いている。そんなテントへと戻っている彼女の姿が見えなくなると、ユスフは道の脇にある背の高い雑草が生い茂っている中へと入った。
雑草を掻き分け奥へと入って行くと、やがて木々によって光が遮られた薄暗い森の中へとなる。更にそこを先へと進むと、木々の姿が無くなり光が溢れた空間へと出る。
森の中にある小さな楽園のようなこの場所には、まるで鮮やかな絨毯(キリム)を敷いているかのように色とりどりの花が咲き乱れている。花の絨毯の上へと立ち辺りをきょろきょろと見回す事によって、八重咲きの大輪の赤い花を見つける事ができた。
ユスフがわざわざサミーラと別れここへと来たのは、この町へと来たばかりの時、偶然辿り着いたこの場所に、座長の好きな花が自生している事を知ったからである。
以前ここへと来た時はまだ蕾であったそんな花は、予想通り咲き頃を迎えていた。サミーラが妹と変わらぬ存在であるように、サミーラの母親である座長は、ユスフにとって母親と変わらぬ存在であった。そんな彼女の喜ぶ顔が見たいと思いながら、ユスフは赤い花を摘み始める。
十三年前。
産まれたばかりのユスフは、ラクス・バラジの一座がその当時滞在していたテントの側に捨てられていた。それをサミーラの母親である座長に見付けられ、拾われる事となった。
幼い頃は、何故捨てられる事になったのかという事を、微かさえも顔を覚えていない両親に問い質したいと思っていた。しかし今は、そんな気持ちを全く持っていない。
一座と共に巡業の旅をしている途中、ユスフは他人から蔑みや侮蔑の感情を露わとされる事と、過度の持て成しを受ける事があった。最初は何故皆にそんな相反する態度を取られるのかという事が分からなかったが、やがてその理由へと気が付いた。
信仰心の厚いこの地方では、奇異な特徴を持った子供は、幸運を運ぶ神子として大切に育てられるか、不幸を運ぶ存在として忌み嫌われるかの二つに一つの道を辿る事となる。他人とは違う部分を持っていた為、ユスフは他人から相反する二つの態度を取られる事となったのだ。
それに気が付く事によって、何故両親に捨てられる事となったのかという事も察する事が出来た。――不幸を運ぶ存在であると両親に見なされた事により、捨てられる事となったのだ。
確かに奇異な特徴を持って生まれたが、皆と同じ単なる人でしか無い。幸運や不幸を運ぶ事ができるような力など持っていない。
他の人間と同じように接して欲しい。
他の人間と違う扱いを受ける事が当然であるとユスフが思う事がなかったのは、座長とその夫が、後に産まれた実の娘であるサミーラと分け隔て無く愛情を注いで育ててくれたからである。そして、そんな座長の下にいる一座の者達が、普通の人間として扱ってくれたからである。
幼い頃は己を捨てた両親に対して、ユスフは憎しみの感情を抱いていた。しかし今は、全く憎しみの感情を抱いてはいない。今が幸せであるからだ。
得る事が出来なかったかもしれない幸福を与えてくれた皆に、感謝の気持ちを伝えたい。
ユスフがラクス・バラジを始めたのは、一座の中で育つ事によりラクス・バラジの魅力に取り憑かれたという理由もあったが、皆を喜ばせたいという気持ちからでもあった。
木々の間から覗き見えている空は、先程まで夕焼けに染まり始めたものであった。だが今は、黄昏時を通り越し夜へとなっていた事により、そんな空は漆黒の闇に支配されたものへとなっている。
作品名:愛を奏でる砂漠の楽園 01 作家名:蜂巣さくら