監禁愛~奪われた純潔と囚われの花嫁~(完結編)
だけど、その考え方は少しおかしい。今は拓人も高校へは行かせてくれている。学校に行けば親友の満奈実もいるし、他の大勢のクラスメートもいて、それなりに愉しい時間を過ごせた。だから、少なくとも今は愛奈の世界は鳥籠の中だけではないのに。
悶々とする愛奈を嗤うように、ケータイは一度も鳴らなかった。そんなある日、拓人がいなくなって八日目のこと、明日はいよいよ拓人が帰ってくるという前日。
実に久しぶりにケータイが鳴った。その時、愛奈はボディガードの運転する車で高校から帰宅途中だった。
―もしもし。
嬉しげに弾んだ声で出たことに、愛奈自身は気づいていない。無言で運転するボディガードがチラリとこちらを窺っていた。基本的に彼らと愛奈が言葉を交わすことはない。彼らはあくまでも監視役としていつも少し離れた場所から愛奈を見守っているという感じだ。
だが、当然、拓人からだと思っていた電話は実は全然違っていた。
―愛奈さまのお電話でよろしいでしょうか?
丁重に問われ、愛奈は思わず頷いていた。
「はい、安浦愛奈ですが」
―私は拓人さまの第一秘書を務めている瀬道と申します。
その名前なら聞いたことはある。とにかく頭の切れる男で、常に影のように社長に寄り添い、忠実無比、拓人の懐刀と目されているとか。
でも、その秘書が何故、愛奈に電話をかけてくる必要があるのか。第一秘書ならば、拓人について現地へ赴いているはずだが。
刹那、愛奈の胸に警鐘が鳴り響いた。拓人が電話をかけてこられないということは、彼が今、そんな状況にあるから?
いや、幾ら何でも考えすぎだ。愛奈は自分の想いが杞憂であることを信じ、やり過ごそうとした。
―奥さまにどうしてもお伝えしなければならないことがございます。落ち着いてお聞き下さい。
愛奈は今し方の不吉な予感が図らずも当たってしまうことを怖れた。不安のあまり、秘書が自分を?奥さま?と呼んだことにも頓着せず、叫ぶように言った。
「拓人さんに何かあったんですか?」
一瞬の不穏な沈黙があり、それがこれから先、聞くであろうすべての事を物語っていた。
―本日昼過ぎ、社長の乗ったバスが大きな事故に遭いました。崖から谷底に転がり落ちて転覆、バスは炎上しました。現在のところ、死者十数名、生存者が数名とのことですが、生存者の中に日本人がいるかどうかの確認は取れていません。今も現地の警察や救助隊が必死の救助活動を続けていますが、何しろ谷底で足場が悪いものですから、難航しているようです。
「拓人さんが事故に? そんな馬鹿な」
愛奈は呟き、身体中の力が失われてゆくのを感じた。
何故、アークのような大企業の社長が単身で観光バスに乗っていたか? 愛奈の疑問はすぐに解消された。瀬道はこんなことを言った。
―彼(か)の国はいまだ治安も不安定で、政情も安定していません。私はむしろ拉致とかテロとか別の意味で心配したのですが、社長はどうでもお一人で行くと言われて、止めるすべはありませんでした。
今回、拓人が赴いたのは中近東の砂漠の国だった。油田をたくさん持ち、日本へもこの国からの輸入に頼っている部分は大きい。国土そのものはけして広くはないが、いまだに王政が敷かれ、国王が絶対君主として君臨しているというやや封建的な面がある。
現在は王政に対抗する革新勢力が台頭してきており、王政派と国内を二分する勢いである。そのため、しばしばデモが起こり、革新派と王立の軍隊が衝突するといったことが起こった。砂漠の国といっても、国土のすべてが砂漠ではなく、一部に峻厳な山脈を有している。今回、拓人が向かったのはその山頂の小さな村の一つらしい。
―社長はデザートローズを探しに行かれたのです。
―デザートローズ?
愛奈は鸚鵡返しに訊いた。
―私も宝石にはあまり詳しくはないのですが、何でも砂漠の薔薇と呼ばれる大変稀少な宝石だそうです。ウィザード山脈のとある山上の村にはとりわけ珍しく品質の良いデザートローズを集めている収集家がいるとのことで、その人物を訪ねていかれるとおっしゃっていました。
そこで秘書はまた少し躊躇い、続けた。
―余計なことを奥さまのお耳に入れると後で社長からお叱りを受けるかもしれませんが、デザートローズは本来は砂漠で取れるものですから、わざわざ辺鄙な山奥まで行かれずとも、都の観光客相手の店にたくさん出ているのです。ですが、社長はこんなことを言われまして―。
?愛奈は俺のたった一つの宝石だ。最高の女には第一級の、世界で一番価値ある宝石を贈りたい?
それが秘書が現段階では社長から聞いた最後の科白となった。
電話を切った後、愛奈は込み上げる涙を抑えきれなかった。拓人は自分に贈る宝石を買いに行こうとして、観光バスに乗った。その途中で悲惨な事故が起きてしまったのだ。
―何か土産を買ってきてやるから、大人しく良い子にしてるんだぞ。
拓人がマンションを出るときの科白が今更ながらに思い出された。あの時、自分は何と応えただろう。いや、何も応えなかった。長い旅路に出る彼を見送りもせず、ふて腐れてベッドの中にいた。
あの時、彼はデザートローズを買ってきてくれるつもりだったのだろうか。
それなのに、自分は頑なに彼に背を向けた。
それに、彼が出ていった後、自分は何を考えただろう。
―あんな男、この世からいなくなってしまえば良い。
よりにもよって、そんな想いを抱いたはずだ。
ああ、私のせいだ。私がいなくなっちゃえば良いなんて思ったから、拓人さんがこんなことに。
愛奈はもう堪え切れず、両手で顔を覆った。堪え切れない嗚咽が低いすすり泣きとなって洩れた。
と、それまで無言でハンドルを握っていた運転手の男が唐突に沈黙を破った。
「瀬道さんの話では、まだボスが死んだと決まったわけじゃないですよ。生存者の中にも死亡者の中にも名前がないってことは、まだ生きてるって望みもあるんですから」
そのひと言に、愛奈の泣き声が止まった。
「ボスは奥さんに滅茶苦茶惚れてますからね。たとえ地獄まで行っても、奥さんに逢いたくて引き返してきます。そんな人ですよ」
その声は愛奈が初めて聞いたボディガードの声だった。気のせいか、サングラスの向こうの細い瞳が優しく細められているように見えた。いつもは表情を消し去った無機質な印象が強いけれど、今はアンドロイドのような冷たい雰囲気ではなく、人間らしい温かな表情を浮かべている。
「あ、でも、ボスには内緒にしといて下さいね? こんなことを奥さんに言ったって知れたら、クビは間違いないですから」
恐らく普段は社長の身内と親しく接することは禁じられているに違いないが、愛奈の哀しみ様を見かねて声をかけたのだろう。
今はその心遣いが泣きたいほど嬉しい。
「とにかく今は気をしっかりと持って下さい。ボスは必ず生きてます。ちょっとやそっとで死ぬようなヤワな人じゃないです。何せ、業界では、何があっても笑わない、沈まない、必ずのし上がる鉄の男って呼ばれてるんですよ。あ、これも内緒ね」
少しおどけたような物言いに、愛奈は思わずクスリと笑った。
作品名:監禁愛~奪われた純潔と囚われの花嫁~(完結編) 作家名:東 めぐみ