監禁愛~奪われた純潔と囚われの花嫁~
愛奈は震える手を今度はスカートのホックにかけた。これを脱げば、後はブラとお揃いの小さなパンティを履いているだけだ。混乱の気持ちが目尻に涙を押し上げてきたけれど、こんないけ好かないヤツらの前で絶対に涙を見せたりするものかと、最早、なけなしの自尊心だけが今の彼女の折れそうな心を支えていた。
ホックを外そうとしたまさにその瞬間だった。応接室のドアが音を立てて開いた。
「貴様ら、何をしてる!」
坊主頭も身の丈があるが、それよりも更に頭一つ分高い若い男が飛び込んでくる。やや鋭角的な曲線を描く頬の形、意思の強さを感じさせる濃い眉が個性的といえばいえるが、まず今風にいえば、イケメンの部類に入る端正でほどよい甘さが混じった顔立ちだ。
愛奈は幼い頃から、このイケメンの年の離れた従兄が大好きだった。中学生になってからは大好きになった韓流スターのペ・スビンに似ているこの従兄を?お兄ちゃん?ではなく?拓人さん?と呼ぶようになった。愛奈の自慢の従兄なのだ。
おや、というように坊主頭が片眉を跳ね上げる。
「一体、誰の許可を得て、こんなことをしてるんだ」
拓人はつかつかと大股で近づいてくると、坊主頭の男の胸倉を掴み上げた。
「手を放してくれませんかね」
しかし、坊主頭は依然として落ち着き払っている。
「我々は、こちらのお嬢さんの亡くなられた父上が書いた書類を預かっています。必要なら、今、この場でお見せしますが」
拓人が悔しげな顔で男から手を放した。坊主頭は汚いものにでも触れられたように襟元を払い、咳払いする。横からニキビ面がさっと別の書類を渡した。
「こちらを」
拓人は座りもせず、その書類を受け取った。数枚の書類を難しげな表情で眺めた後、坊主頭に突き返した。
「確かに君の言い分にも一理の正当性はあるようだ」
「ご理解頂けて何よりです」
拓人は今日も濃紺のビジネス―ツでびしっと決めている。
「亡くなった叔父が残した借金はすべて私が払う」
刹那、流石の坊主頭も眼を見開いたようだった。
「いや、しかし、これだけの」
相手に皆まで言わせず、拓人は仕立ての良いスーツの上着から名刺を出した。
「僕の言うことが信用できないというのなら、これからすぐに付いてくれば良い。会社の経理担当が今日中には全額耳を揃えて君たちに望み通りの金を進呈するだろう」
拓人が差し出した名刺には?アークコーポレーション 代表取締役 平城(ひらき)拓人?と書いてあった。
「アークコーポレションの社長」
小男がこれまで以上に惚(ほう)けたような顔で拓人を見、更に傍らの愛奈を見た。拓人は男の不躾な視線から隠すように、さっと自分の上着を脱いで愛奈に羽織らせた。
「失礼ですが、天下に名高いアークの社長があなたのような若造、失敬」
わざと言い間違えたに違いないのだが、坊主頭は言葉だけは慇懃に言い換えた。
「お若い方だとは迂闊にも知りませんでした」
態度も物言いもいっそう丁重にはなったものの、男の瞳には拓人をこの場で射殺しかねないほどの物騒な光がある。
「私の親父が十年前にR航空の飛行機事故で亡くなりましてね、当時、高校生だった私が名義だけは社長職を受け継いだのです」
「なるほど、当時、あの事故は世間を賑わせましたからな。そうですか、あの痛ましい事故で先代が亡くなられたとは」
坊主頭が立ちあがった。
「アークの社長が肩代わりを申し出て下さるのなら、間違いはないでしょう。今日のところはこれで失礼します」
行くぞ、と、小男に声をかけて去っていく。小男はまだ愛奈の方をちらちらと未練がましい眼で見て、坊主頭にこづかれていた。
パタンとドアが閉まると同時に、愛奈はこれまで張りつめていたものがプツンと音を立てて切れたようだった。身体がふらつき倒れそうになったところを拓人が支えてくれる。
「大丈夫か?」
「拓人さん」
愛奈は大好きな従兄の腕に抱かれて、甘えるように頬を預けた。従兄の背広から漂っているのは爽やかな柑橘系のコロンの香り、いつも拓人が好んで身につけているのを知っている。
「大好きよ。拓人さんはいつも私が困っていたら、助けにきてくれるんだもの。まるで白馬の王子さまみたい」
「俺が王子さま?」
拓人は笑いを含んだ声で言う。
うんと無邪気に頷く愛奈の髪をくしゃりと撫で、拓人はからかうように続けた。
「じゃあ、さしずめ愛奈は姫なのか? 姫は王子さまに助けられて、王子の花嫁になるんだぞ」
「あら、拓人さんは私のお兄さまだもの。兄と妹は結婚できないのよ」
「兄妹(きようだい)じゃない、俺たちは従兄妹(いとこ)だろ」
「そんなことはどうでも良いの。兄王子は妹姫に本当に運命の王子さまが現れるまでずっと見守ってくれるのでしょ」
「随分と都合の良い解釈だな」
拓人は笑いながら愛奈を抱く腕に力をこめる。
「万が一、そんな男が現れても、俺はお前を渡してなんかやらないからな」
その時、愛奈は大好きな従兄のその言葉がまさか冗談どころではなかったことをまだ知らずにいた。ある意味、サラ金会社の男たちに付いていった方が幸せだったということすらも。彼女の運命の鍵を新たに握ったのは気高く麗しい天使の仮面を付けた悪魔だった―。
安浦愛奈、十七歳。公立N高校普通科の三年生で、別段、目立つような女の子ではない。ただ物心ついたときから、二重のはっきりとした黒い瞳が愛らしいと言われることは多かった。顔立ちは世間でいう可愛いの部類には入るだろう。かといって人眼を引く美人ではけしてない。
愛奈の父安浦禎三(ていぞう)と拓人の父平城俊介は血の繋がった兄弟である。禎三は大学卒業後、見合いでアークコーポレーション傘下の中小企業であるY&A企画の社長令嬢と結婚、婿養子に入って安浦姓を名乗るようになった。Y&A企画は広告代理店で、禎三の代になってからも経営状態は安定していた。
しかし、数年前に請け負ったテレビCMの仕事が見事に失敗してしまった。有名化粧品メーカーの春に売り出される新色口紅のコマーシャルに出演するはずの女優がドタキャンしてしまったのである。
ギャラの問題で大揉めに揉めて降板、急遽代理を立てたものの、今度は化粧品メーカーの方が気に入らず、この話は暗礁に乗り上げた。結局、間に入ったY&A企画が大損をすることになってしまった。
その頃から何もかもがうまくいかなくなった。父は懸命に赤字を埋めようとしたものの、やることなすことすべてが裏目に出た。やがて最初はほんの少しだった負債は見る間に膨れ上がり、返済の目処さえつかなくなった。禎三が首を吊って変わり果てた姿となって山中で発見されたのは、つい一週間ほど前のことだ。
今日はその初七日だった。物言わぬ骸となった父と病院の霊安室で対面した後、葬儀を何とか済ませられたのもすべては拓人が側で支えてくれたからだ。高校生の愛奈はただ黙って座っていれば良かった。拓人がすべて采配をふるってくれたからこそ、初七日を無事に迎えられたのだ。
愛奈は今日は高校を早退して、そのまま菩提寺に行って読経をあげて貰って自宅に帰ってきたのだ。拓人は一緒にいてやりたいが、仕事が忙しくて、どうしても抜けられないのだと事前にメールが届いていた。
作品名:監禁愛~奪われた純潔と囚われの花嫁~ 作家名:東 めぐみ