愛を抱いて 18
「俺は子供の頃、意識を持ってるのは自分だけかも知れないって、急に思った事があった…。」
柳沢が云った。
「何て云うか…、未来の行動を自らの意志で変えられるのは自分だけで、俺以外の人間、生物、さらに宇宙全体は、決められたパターンに従って実は動いているんじゃないか、と思ったんだ。」
「それに似た様な事、思った事あるわ…。」
香織が云った。
「例えば、自分が赤だと思ってる色が、他人には違う色に視えているのじゃないかって…。」
「それは云えるよな…。
自分も他人もその色を赤だと云うけど、頭に描いている色が他人と同じかどうかは、解らないもの。」
「他人の心は、決して覗く事ができないって事かしら…?」
「と言うより、心は結局一人ぼっちって事だろう…。」
「やっぱり、人間て本来孤独なのね…。」
「そうさ。
意識の世界では、いつも人は孤独なんだ。
心の中には1人しか住めない…。」
「後1時間もすれば、夜が明けるな…。」
私は時計を視て云った。
「みんなで話してると、いつも気づかないうちに、こんな時間になってるわね…。」
世樹子が云った。
「全然眠くならないから、不思議よ…。」
「明日はテニス、するんでしょ?」
香織が云った。
「そうだ…。
柳沢、哲学堂のコート、何時から入ってるの?」
「1時から、2時間。」
「なら、昼まで寝てられるな。
俺は12時に起こしてね。」
「フー子はテニス部だったんだろ?
フー子と組んだ者の勝ちだな…。」
「どうせ、私達は足を引っ張るわよ…。」
フー子とヒロシはよく眠っていた。
「云い忘れてたけど…、柳沢、誕生日おめでとう。」
「誕生日は昨日だぞ。」
「もう、電気消す…?」
「うん、いいよ。
寝るべ…。」
我々は毛布だけを被って、その場で雑魚寝を始めた。
〈三五、柳沢誕生日パーティー〉
36. 共立女子大学合コン
10月12日の夕闇迫る時刻、私はクラスの仲間と総武線に乗っていた。
「確か1人、可愛い娘がいたよな?」
淳一が云った。
「ああ、大柄で色白の娘だろ?」
「大柄…?
割と小ちゃい娘だったよ。」
「そうだっけ…。
髪が長かったよな?」
「…?
どの女の事を云ってるんだ…?」
「だからスラッと背が高くて、顔のポッチャリした…。」
「やっぱお前とは、女の趣味が全く違うらしいな…。」
新宿で電車を降りた。
北口の階段を上って行くと、案の定、アルタの前は人で溢れていた。
「いるか…?」
横断歩道の前で、西沢が云った。
「人が多過ぎて、よく判んねぇな…。」
信号が変わり、我々はアルタ・ビル前の人込みの中へ入って行った。
共立女子大の5人は、右奥のエレベーターの前にいた。
「ハイ。」
「待った?」
「ううん、私達もさっき来た処。」
私はすぐに、背が高く髪の長い「ゆかり」という名の女のそばへ行って、話しかけた。
その頃我々の合コンでは、毎回待ち合わせ場所において、気に入った女の獲得戦が展開された。
そしてその場で、その夜のカップリングがなされるのが常だった。
「また逢う事ができて嬉しいわ。
本当に来てくれるのかなって、不安だったの…。」
「来るに決まってるじゃない。
約束したんだから…。」
「だって、あの時あの店で初めて逢って、それに、お酒の席での口約束でしょ?
惚けられても仕方ないと思ってたわ…。」
「俺達は、初めて逢ったや酒の席に関係なく、女の子との約束は、たとえ親が危篤になろうと守るぜ。」
我々は三々五々、店へ向かって歩き始めた。
私は無事、ゆかりの奪取に成功を収めた。
コンパの会場は、靖国通りに面したビルの7階の居酒屋だった。
「この前も、お座敷でやってたわね。
好きなの…?」
ゆかりが訊いた。
「ああ。
足が楽だし、いいだろう?」
「そうね…。
でも、他にも理由があるんでしょ…?」
ゆかりは、薄い笑みを顔に浮かべて云った。
「実は、私達視ちゃったの…。」
「何を…?」
「この前帰る時に、あなた達がコンパをしてたお座敷の前を通りかかって…。
御免なさい。
覗くつもりじゃなかったのよ…。」
「別にいいさ。
見えたものは仕方ない。」
「いつも、あんな事やってるの…?」
私は少し考えてから云った。
「毎回ではないけど、まあ大体あんな感じになる事が多いな。」
「ふうん…。」
「俺達はさ、お互いが許し合えるギリギリの処まで、目一杯楽しもうって主義なんだ。」
「今夜も、あんな風になるのかしら…?」
「さあ…?
君等次第だろうな。」
「あなた達次第よ…。」
ゆかりはグラスを口に持って行くと、早くも1杯目の水割を呑み干した。
私は慌てて、自分のグラスを空にしてから云った。
「野口、こっちお代り2つ。」
2つのグラスがテーブルを滑って行った。
「ああ、少し待ってくれ。
氷とミネラルがもうないんだ。
今夜は皆、えらくペースが速いな…。」
トイレに入って行くと、淳一がいた。
「お、鉄兵。
聴いたか…?」
「何を?」
「彼女達、全員、寮なんだってさ。
で、門限が10時…。」
「帰るって云ってるのか…?」
「ああ。」
「おい、冗談じゃねぇぞ。」
「勿論だ。
潰しちまうか…?」
「いや、まずはスマートに口説く事だ。
それで駄目なら、全員一丸となって潰しにかかろう…。」
席へ戻ると、私は云った。
「ゆかりちゃんてば、酷いな…。」
「どうしたの?」
「君等がなんで、随分速いペースで酒を呑むのか、その理由が解った…。」
「門限の事?」
「そうさ。
ずっと黙ってて、時間になったら帰っちゃうつもりなんて、酷過ぎる…。」
「そんなつもりじゃないわ。
門限なんて、忘れようとしてたのに…。」
「だからさ、ニューヨークなんて、もう古いよ。
これからはやっぱ、イタカジさ…。」
彼女達の寮の門限は、一応10時であったが、11時までは門の鍵が開いてるという事だった。
しかし、それ以降はどうしても無理だと、彼女等は云った。
その寮では余程の事情でもない限り、外泊は全く許可されず、外泊した事が発覚すると、厳重な処分と親元への通達がなされるという話だった。
「私達、夜は駄目なのよ…。」
ゆかりは云った。
「良かったら、今度昼間に、ゆっくり逢って欲しいわ…。」
「俺達には、今度なんてないよ。
今が全てさ。」
「もう私と、わざわざ逢う事は面倒…?」
「違う、そうじゃない…。
今夜、こうして君と逢ってる以上、俺は今夜に全てを賭けてるのさ。
俺が今夜全力を出し尽くしても、君が帰ってしまうなら、俺と君とは結局、それまでの関係だったという事だ。
この次に逢っても、きっと同じ事さ。
もし今夜全力を出し切って、なお再びお互いが逢いたいと思うのなら、それはとっても素敵な事だ。
出し惜しみをしながら、少しずつ知り合おうなんて、年寄りの考えさ。
逢う度ごとに、全力を出さなきゃ…。