着物と私
浴衣から着物への憧れに
2005年の夏に浴衣で花火を見て以来、少しずつ和服への憧れが強くなって行った私は、コンサートなどに着物を着て行けたらいいなぁと思うようになりました。何となくネットショップの洗える着物を検索してみたりしました。でも、この頃はただ何となくというだけで、実際に着物を買ったりはしませんでした。
さて、2005年に知り合った彼とはお付き合いをするようになり、だんだんと結婚を考えるようになりました。彼は群馬県、私は三重県に住んでいたので、遠距離でしたが、スケジュールが合うときには一緒に奈良に行ったり、年末に東京で食事をしたりして、翌年の3月についに結婚を決定。彼のお母さんが大腸がんになっていることがわかり、私の父も母が亡くなって日が浅かったことから、挙式は2007年の4月にしました。
そんなわけで、2007年の4月からスタートした結婚生活は、義母の闘病生活を支える日々でした。やはり再発や転移をくり返して、痛みに耐えながら闘病していた義母でしたが、2008年の夏に他界。これで、夫婦ともに母親がいないという状況になりました。
私の嫁いだ先では、親や配偶者などの葬儀の時には喪服(和服)を着ることになっています。それで、大人になってからはほとんど浴衣しか着たことがない私でしたが、着付けを頼んで和装の喪服を着て葬儀に参列しました。このとき、帯揚げや帯締めの名前も知らなくて、自分では全然着物を着られなくて、「これはいかん!」と思いました。このとき、私の中で、「自分で着物を着られるようになっておきたい」という思いがはっきりと目覚めたのではないでしょうか。葬儀が終わり、名古屋帯のたたみ方もわからずに本当に戸惑いました。間違いなく、このままではいかんと思いました。
実は我が家には、認知症の義父がいます。義母が亡くなってから、この義父の介護という現実が私たち夫婦にのしかかってきました。認知症のことを正確には知らなかった私は、毎日が驚きと苛立ちの連続で、すっかり心の余裕をなくしてしまいました。ストレス性の腸炎に悩まされる毎日。そんなこともあって、しばらくは着物どころではなくなってしまい、毎日の生活に疲れ切っていました。
介護保険を利用して、義父がデイサービスなどに行くようになり、少しずつ心の余裕が戻っては来たものの、まだまだ大変な日々は続き、あるとき、地元の居宅介護支援事業所の人が、義父をグループホームに預けてはどうかと提案してくれました。最初、夫婦ともに義父の面倒を見るのは自宅で責任をもって・・・と思っていましたので、グループホームに預けるのはちょっと気が引けました。それで、義父の主治医に相談してみたのです。すると、先生は、「介護をする側の人というのは、本当に大変なんです。もし介護をする側の人が倒れたら、介護される側の人が困るんですよ。だから、お父さんのためにも、グループホームに預けることをお勧めします。決して恥ずかしいことではないし、悪いことではないのです。お父さんにとって、介護のプロに見てもらうことは、重要な治療のひとつなんですよ。」と言ってくれました。
そんなやり取りを経て、2009年の4月、義父はグループホームに入所しました。この頃から少しずつ、私たち夫婦の健康が戻り始めました。義父も認知症によく見られる怒りっぽい症状が出にくくなり、落ち着いてきたので、ホッとした私たちでした。
この年の10月だったでしょうか、朝の連続テレビ小説「だんだん」が始まりました。事情があって離れ離れになっていた双子の姉妹が偶然に出会い、そこから思いがけない展開になるストーリーでしたが、主演の三倉茉奈さん、三倉佳奈さんがとてもいい感じで、京都で舞妓をしている役だった佳奈さんがとても素敵な着物姿を見せてくれて、いよいよ着物への憧れが募り始めた私でした。
幸い、結婚する前に祖母がプレゼントしてくれた着物一式があったので、その着物で練習すればいいかな、と思った私でした。
・・・それはいいのですが、着付けを習ったことがない私は、着物の着方を知りませんでした。でも、習いに行くのはちょっと大変だったのです。我が家では犬を飼っていて、その子がとても寂しがり屋だったので、夫が仕事に出ている間に家を空けることが難しかったのです。そこで、着付けに関する本を買い求め、付録のDVDなども見て、わからないことは祖母に電話をして相談することにしました。
と、ここで、問題が発生しました。祖母がくれた着物は、訪問着でしたので、帯はゴージャスな袋帯でした。着物初心者に袋帯は難しくて大変です。さてどうしましょう。
ということで、前に検索してみた洗える着物を買ってみることにしました。まずは6,800円で買える着物初心者セットをゲットしてみました。これで着物と名古屋帯と帯揚げと帯締めが手に入りました。福袋だったので、コーディネートはお店の人がしてくれて、私は何も考えずに済みました。洗える長襦袢を買い足し、足袋や着付け小物は母のものを使い、ついに独学での着付け練習のスタートです。
浴衣から着物へ、憧れが動き出した瞬間でした。