岩窟の秘石
そうこうして山内は、「孤独」の特効薬である「愛」の研究について最先端の研究を行っているといわれている、高名な大学教授の発表が行われ始めようとしているのに気がづき、注意を集中するのであった。その教授の説によれば、「愛欲」の「愛」とは違って「孤独」の特効薬となる「愛」とは、まず人間機械自身の存在を無条件に喜んでもらえることが重要であり、そして働くということ以前にまずその存在の唯一性が確保されているということが大前提であり、「人間機械は働くから愛されるのではない、愛されているという実感をその存在自身が自明のものとして感じているがゆえに、働くことができるのだ」というのであった。山内は「愛」の研究について一歩前進したと思い、心のなかに何かほんのわずかであったが、明るい光を見た気がしたのだった。続けて教授は次のようにもいうのであった。ただこの「愛」は人間機械の成長段階において、臨界期というものがあって、その臨界期を過ぎてしまっては、いくら投与しても効果がない。そして「孤独」の特効薬としての「愛」はまずは、「誰か」から与えられる必要がある。つまり愛してくれる「誰か」を経由する媒体として必要とするというのが現段階での研究の結論であった。山内は息を飲んだ。
会場を後にした山内は、リニヤモーターカー車内での、人々のへらへらと笑いながらもその心のうちに赤く熟し膿んだ何かの不気味さを思い出して吐き気をもよおし、電動タクシーを拾うのであった。涼しい車内で運転手と二人、運転手にすらにも恐怖心を抱いている自分に気づいていた山内であったが、リニヤモーターカー内での恐慌に比べれば、まだはるかに耐えやすかった。車内はことのほか、涼しく居心地よい。山内は、例会での教授の発表について頭の中で思いめぐらすのであった。「孤独」の特効薬となる「愛」とは、まず人間機械自身の存在を無条件に喜んでもらえることが重要であり、そして働くということ以前にまずその存在の唯一性が確保されているということが大前提であり、「人間機械は働くから愛されるのではない、愛されているという実感をその存在自身が自明のものとして感じているがゆえに、働くことができるのだ」という言葉が、思い出される。
しかしながら、車外は摂氏40度近い、猛暑であった。その車外は、ほとんど荒野といってもよいような風景が広がり、政府の恩着せがましい、いかにもお上からのご恩給とでもいうような態度で食料品を配給して回る政府からの職員たちが、枯れ木のような手足で腹ばかり膨れている、「ポンコツ」たちに食料品を与えている。「ポンコツ」」たちが列をなす。何気なくその光景を眺めていた、山内であったが、電動自動車の渋滞が続くなか、電動タクシーが速度を緩めたときに、ふと木陰の中で母親らしい「ポンコツ」が自分の子供らしい「ポンコツ」に自分の分らしい食料品を与えているのを見た瞬間、山内は「ポンコツ」がなぜこんなことをするのか。物質文明の中で利己主義が常識であり力・スピード・数の論理が支配する当世でありながら、母親の「ポンコツ」が自分の子供である「ポンコツ」を虐待することは、「修理」の時によく「ポンコツ」たちから聞かされる話であった。しかし、母親らしい「ポンコツ」が自分の子供らしい「ポンコツ」に自分の分らしい食料品を与えている。しかも母親らしい「ポンコツ」の手足すらまるで枯れ木のようであり、腹が膨れている栄養失調というのに。山内は訳がわからず、母親らしい「ポンコツ」が自分の子供らしい「ポンコツ」に自分の分らしい食料品を分けていることを、この母親らしい「ポンコツ」にわけを聞きたくてたまらなくなった。そして、電動タクシーの運転手に道路わきに車を止めて、しばらく待つようにと言って車外へ出たのであった。山内は、走ってその母子のところへ近づいていくのであった。山内はその母親らしい「ポンコツ」に訳を聞いた。その返事は、私にもわかりません。ただ可愛いんです。であった。子供らしい「ポンコツ」は、母親らしい「ポンコツ」と同じく、手足は枯れ枝のようであり、腹が膨れて、テレビで見られるようなアイドルやアニメのキャラクターのような人気者の風体にはとうてい及ばない。にもかかわらず、その母親らしい「ポンコツ」はその子が可愛いというのだ。
まさか、あの最先端の研究で高名な教授が言っていたこと、「孤独」の特効薬となる「愛」とは、まず人間機械自身の存在を無条件に喜んでもらえることが重要であり、そして働くということ以前にまずその存在の唯一性が確保されているということが大前提であり、「人間機械は働くから愛されるのではない、愛されているという実感をその存在自身が自明のものとして感じているがゆえに、働くことができるのだ」という言葉をまた思い出したのだった。
そして再び電動タクシーに戻った山内は、荒野の道路の渋滞を目にしながら、あの母親らしい「ポンコツ」が子供らしい「ポンコツ」に自分の分の食料をやったこと、そして、私にもわかりません、ただ可愛いんです、という言葉を頭の中で反芻しながら、「孤独」の特効薬なる「愛」について考えるのであるが、その一方でみずからが罹患している病でもある「孤独」が、再び山内を現実の力・スピード・数の論理が支配する世界へと引き戻すのであった。しかし、あの最先端の研究で高名な教授が言っていたこと、「孤独」の特効薬となる「愛」とは、まず人間機械自身の存在を無条件に喜んでもらえることが重要であり、そして働くということ以前にまずその存在の唯一性が確保されているということが大前提であり、「人間機械は働くから愛されるのではない、愛されているという実感をその存在自身が自明のものとして感じているがゆえに、働くことができるのだ」とは別に、次のようなことも言っていたのを思い出す。それは「孤独」の特効薬としての「愛」はまずは、「誰か」から与えられる必要がある。つまり愛してくれる「誰か」を経由する媒体として必要とするというのが現段階での研究の結論である、ということだった。