岩窟の秘石
修理時間が始まった。山内は今日も、相変わらずマイクを通じて「ポンコツ」たちの名前を呼ぶのであった。「ポンコツ」たちの特効薬は「愛」であるということは、知られていた。しかしこの「愛」なるものはまだ、開発途上にあり、代用品の安定剤や睡眠剤をなんとか、組み合わせて「ポンコツ」たちそれぞれ固有の症状に合わせて処方するのが、一般的な方法なのであった。山内は「ポンコツ」をまた一人、そしてまた一人と「修理」していく。しかし、この「修理」はとりあえずの間に合わせであり、場合によっては代用処方が功を奏さない場合がたびたびあったことは、メカニックマンであれば誰でも周知のことであった。午前の「修理」を終えた後、山内は別室の控室で、休憩するのであった。まぶたを閉じた山内は、午前の「修理」の疲れの中で、やや煩悶を感じたあと、浅い眠りへと、誘われたのであった。山内は昨日見た夢を思い出していた。巻き物に文字のようなものを書いていたあの人物の持つ不思議な輝き、炎を前に熱心に巻き物に文字のようなものを書いていたその人物には一種の使命感をもって書いているという雰囲気を山内に与えていたのだった。山内はその人物との邂逅を味わうかのごとく、その夢に酔っていたのであった。
勤務を終えた山内はまた例のごとく、足早に歩きリニアモーターカーに乗り込むのであった。山内が目にするものは、スマートフォンをおもちゃにゲームやアニメに夢中になっている人々であった。いつもの車両内の光景を目にしている山内は、ハッとため息をついて車両の床に目を落とすのであった。靴底で汚された床が妙に足元に粘りついている。それに嫌悪感を感じた山内は、目を挙げた瞬間、何かの異変に感ずいたのであった。車両の中にいる人々が、山内の疲れとは無関係に、へらへらと笑っているのである。山内自身は何も楽しいことがないのに、それにも関わらず、車両の中にいる人々がにやにやと笑みを浮かべている。山内はその笑みは喜びの笑みではないと感じたのであった。どこか不自然で作っている笑いである。しかし彼らの腹の底には顔の表情とは裏腹に何かどす黒くて、赤く膿んだものがあると感じるのであった。そして山内はこれらの人々のにやにやと笑う顔に、どうにも耐えきれず、途中下車したのであった。ホームのベンチにやっとの思いで座った山内は、何か途方もない暗黒の闇が目の前にあるように感じられた。何か大きなショックを受けた後に感じる、闇へと吸い込まれていくような感覚に襲われる。山内は「もしや」と思った。その後、1,2時間をベンチで腰かけて過ごした山内は、目を閉じて暗闇の中で苦悶したのだった。山内は改札を出て、近くの「修理工場」へと向かった。修理時間にはまだ間に合う。山内は待合いで、自分の名を呼ばれるのを待った後、「修理室」の扉を開けた。山内はリニアモーターカーの中での自らの状況をメカニックマンに告白した。相手のメカニックマンは山内に「孤独」の宣告を言いわたした。
処方箋を受け取った山内は、薬局へと足を運び、調合された処方薬を手に持ち帰宅したのであった。山内は、処方薬をコップの水といっしょに一気に胃袋へと流し込み、その夜は深い眠りについた。山内は深夜の2時前後に目を覚ました。そして、今日が何月何日かを確認した後、明日は「孤独」の特効薬についての例会が開かれることになっているのに気付いて、急いで論文の確認作業をし始めた。
処方薬を飲んではいたが、「孤独」を宣告された山内はどうにも気分がすぐれない。出勤途上においても昨日の悪夢の残遺が山内に襲いかかってくる。リニアモーターカーの中では、やはり人々は昨日と同じようににやにやと笑っている。山内は床に目を落とし到着駅のアナウンスを聞くまで、目を閉じていた。例会の会場に到着した山内は、そこでも人々はにやにや笑っているのが苦痛でならなかった。それが社交辞令のつくり笑いであることは明らかであると山内は、そう思った。会場の中で苦痛をこらえながら、山内は例の「孤独」についての特効薬について、意見が交わされているのが耳に聞こえていた。そして「愛」の定義について、山内が何度も学術論文で目にしていた文字の数々が耳に入ってきていたのであった。山内はそれらの文言の繰り返しに飽きていた。
山内は地球の未来を想像した。巨大企業は人間機械の欲望を利用して莫大は利益をあげ、地球の砂漠化はますます進むことになる。木製製品であるもの、例えば安価なエレキギターなどは昨今まで爆発的な売れ行きを示していた。それはテレビアニメに影響されて、持っているだけで弾くつもりのない若者が、ファッション感覚で持ち歩くだけのものであった。森林伐採が加速化するのは、この話を聞いただけでも明らかである。もはやこの国の中枢都市は現実と非現実が入り乱れ、アニメやゲームのファッションを模倣し、現実の人間くさい営みをそれらのファッションで隠蔽するしか考えつかない。もしこの非現実のなかで生きるとすれば、人間機械個人もその非現実の軽やかさ、明るさの一部として人生そのものを演技していくしかないのであった。その非現実の幻想から取り残されたものは、闇から闇へと葬り去られる。この国の行政機構いや国民はこのような方法で多くの諸問題をもみ消しにしていった。またこうも考えるのであった。人間機械たちは大部分が肉食をしている。しかし彼らが菜食に切り替えれば、食用動物が食べる分だけの穀物を人間機械自身が食することとなる。その分多くの「ポンコツ」を救うことになるが。もっとも力・スピード・数の論理が支配する現在の物質文明が「ポンコツ」を救うのは、偽善以外にありえないだろう。いずれは地上の都市はすべて消滅し、地表の一面は砂漠と海水だけが残り、人類は地下都市に住むことは、まさに現実のものとなりつつある。そして19世紀以来大工業化によって巨大企業が破壊していった絵になる風景はまさにその地下都市のなかで、今度は絵や写真を模倣して地下都市の景観をつくっていくのであろう。その絵になる風景を乱すものはすべて排除していくことに、この国の統治機構は猛烈にエネルギーを注いでいくことになるだろう。