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いつか『恋』と知る時に

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(3)戸惑い





 雅樹はカウンターの席に座った。
 通りすがりに入った店だが、雰囲気は悪くない。一人客がほとんどで店内はとても静かだった。時折ボソボソと聞こえる話声は、ジャジーなBGMと同調してむしろ心地よい。カクテルが充実しているようなので、お任せでオーダーしてみる。
(一人で飲みたい時に入るには良い店だな)
 と雅樹は思った――そう、今の自分のように。
 時計を見ると午後八時三十分になろうとしている。今頃実家では帰国した弟・壽一を囲んで、ささやかな食事会が開かれているだろう。鷲尾家レベルならしかるべき店のディナーを予約するところだが、外国暮らしが八年に及んだせいか、壽一は母の手料理を希望した。もちろん実家での食事会なので、雅樹も頭数に入っている。
「お待ち合わせですか?」
 オーダーのカクテルが目の前に置かれ、バーテンダーが言葉を添える。
「え?」
「いらした時から時間を気になさっていたようなので。だから軽めのものをお作りしました」
 カクテルの説明を簡単にして、バーテンダーは別の客のオーダーに取り掛かった。
 トールグラスに入った薄い色味のカクテルを一口含んだ。甘味は抑えられている。二口目を流し込んで腕時計に目をやり、「ああ、これか」と思った。あのバーテンダーは客の様子をよく見ている。なるべく表情に出さないように、雅樹は浅く息を吐いた。
 時間を気にして見えるのは待ち合わせではなく、食事会へ行けなくなったと電話する、そのタイミングを計っているからだ。口実にするため急きょ作った仕事は、午後七時までに片がついてしまった。あと一時間は潰さないと、「行けなくなった」は通らないだろう。
 自宅で、ではなくこうして夜の街で時間を潰しているのは、八年ぶりに対峙した壽一に原因がある。彼の姿を目の前にするまで、雅樹は食事会に出るつもりでいた。
(大丈夫だと思っていたのに)
 彼の姿を見た途端にじっとりとした汗が背中に滲み、声を聴くとあの夜の出来事がフラッシュバックして、足元が揺らいだ。だから咄嗟に「行けなくなった」と義父の威一郎に言ってしまったのだ。『あの夜の出来事』とは、八年前、兄弟でありながら身体の関係を持ってしまったことである。
 兄弟と言っても血の繋がりや戸籍上もその関係にはない。再婚同士の連れ子だった上に、雅樹は天涯孤独だった亡父の家名を残すと言う理由から、久能の籍に残ったからだ。しかし実のところは後継者争いなどで面倒が起きることを危惧した鷲尾の親族が、雅樹の入籍を渋ったのである。その代わりに実子同様の何不自由ない生活は約束された。母子とも野心のない性格であったし、雅樹自身、将来は実父と同じく教師になりたいと思っていたので、久能の籍に残ることに依存はなかった。
 とは言え、雅樹が十三歳、壽一が九歳の頃から兄弟として育ったことには違いない。壽一が自分に対して兄に寄せるものとは違う感情を持ち始め、それを雅樹の前では隠しもせずアプローチを開始したことに戸惑った。そのため、雅樹は極力二人きりの時間を避けるようにした。
「しばらく会えないから、せめて飲みに行かないか?」
 で、あるのに壽一が大学四年生の夏、雅樹は彼の意図を知りながら誘いに乗った。壽一は秋からアメリカに留学し、そのままヨーロッパの関連企業に配属されることが決まっていた。鷲尾物産の後継者として相応しい実績を上げ、箔を付ける意味合いがあり、壽一にとっては大事な「試練」である。それだけに集中させ、義父・威一郎の期待に応えさせなければならない。
 威一郎にはよくしてもらった。実の子と変わりなく扱ってくれたし、公平で家族に対する誠実な人柄を尊敬している。だからこそ、将来、壽一を支えて欲しいと言う彼の希望を汲んで、争いの素にならず、且つ、グローバル時代に必要不可欠な知的財産や国際法を専門とする弁護士になった。義父は壽一に期待している。失望させたくなかった。
 壽一は欲しいものは何としても手に入れないと済まない性格である。同時に、手に入れてしまえば興味を失う性格でもあった。雅樹はそれをよく知っていて、利用したのだ。
 兄弟で身体の関係を持つことになるが、一瞬の倫理的な後悔より、社にとっての有益を優先した。女性と違って妊娠する心配もない。ベッドに倒された時、割り切って壽一のしたいようにさせた。湧き上がる快感にも素直に身を任せた。夜が明ければ壽一は満足し、何事もなかったかのように一週間後にはアメリカに旅立つに違いないと思って。事実、それからの八年、壽一から音沙汰はいっさいなかった。
「何かお作りしましょうか?」
 いつの間にか空いたグラス。それに気づいた先ほどのバーテンダーが声をかけてきた。
「そうですね」
「同じものでよろしいですか?」
「少し強めでお願いします」
「どんな味がお好みです?」
「カクテルはよくわからなくて」
「『こんな感じ』と仰って頂ければ、お作りしますよ」
 雅樹はバーテンダーの顔を見た。年の頃は壽一と同じくらいだろうか。似ているわけでもないのに、ただそれだけで面差しが重なる。すると自然に飲みたいカクテルのイメージが湧いた。
「…舌が痺れて、喉越しに熱を感じるような。それでいて後味はスッキリする感じで」
「かなり強くなりますよ?」
「構わない、待ち人はいないので」
 雅樹の答えにバーテンダーはニッコリとほほ笑んだ。アルコール・チョイスを彼が始めると、雅樹は「電話をかけてきます」と席を立った。
(呂律が回るうちに、連絡を入れておこう)
 当初の目安の一時間は経っていないが、「まだかかりそうだ」で通せる。
 舌が痺れて喉越しに熱を感じ、それでいて後には残らない――壽一の中には雅樹とのことなど何も残っていないだろう。再会した彼の雅樹を見る目が、それを物語っていた。
(そう願ったはずだ)
 そしてその通りになった。もう八年も経っている。なのになぜ、じわじわとしたものが胸に広がるのか。
 胸の奥に封印したものが壽一との再会で解け、もう一人の自分として問う。
 割り切って彼のしたいようにさせたのは、自分への関心を失わせるためだけだったと?
 仕事に没頭することで彼を思い出さないように努めてきたのは、罪悪感だけだったと?
 彼と同じ家族の食卓に着けず、こうして時間を潰さなければならないのはなぜなんだ?
 雅樹は小さく頭を振り、上着の内ポケットから携帯電話を取り出した。