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いつか『恋』と知る時に

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 茉莉絵の家柄の良さを考えれば、順序が逆――つまり『出来ちゃった婚』の体裁の悪さなど、変な女に手を付けられるよりははるかに良かったと思っているだろう。政界の実力者と財務省次官。政・官との関わりに何かと厳しい昨今、リスクを考えることなく双方とパイプを繋ぐことが出来る。
「考えておきます」
「おまえに選択権はない」
 欲しいものは是が非でも手に入れたいのと同様に、押し付けや嫌なことには全力で拒否したい性分の壽一は、威一郎の言葉に敏感に反応し、彼をねめつける。
「自分自身がしでかした失敗だ。責任はとらねばならんだろう? ちょうど良い機会だ、身を固めろ。早すぎる年じゃない」
「嫌だと言ったら?」
「許さん」
「だったら会社を辞める」
 壽一は立ち上がり、威一郎を見下ろして言った。
 威一郎は息子を見上げた。
「おまえには出来んよ。今、取り掛かっているのはおまえが中心で立ち上げたプロジェクトだ。わがままで金持ちの道楽息子な面はあるが、責任感は強いからな」
 威一郎は立ち上がって壽一と目の高さを同じくする。彼の方が背が低いにもかかわらず、目の前に立たれると存在感で威圧された。人生の経験値の差を、壽一は感じた。
「それとも誰か好きな相手でもいるのか?」
 威一郎が壽一をジッと見つめる。そう言われて壽一の脳裏に一人の顔が浮かびかけたが、像は結ばなかった。
「いねぇよ、そんなもん」
 一瞬のことだったが、威一郎は壽一の刹那な間を見逃さない。
「壽一、恋愛と結婚は別物だ。恋愛は個人だが結婚には家が絡む。特に、私の子である以上はな」
「わかってる」
「それならいい」
 話は終わったとばかりに、威一郎は壽一が中身を見なかった茶封筒を手に、執務席に戻った。
 壽一はいつの間にか握り締めていた拳に気づく。それを解くと部屋を出た。
 部署に戻る廊下を歩きながら、壽一は父との会話を思い返していた。正しくは、「誰か好きな相手がいるのか」と言うくだりである。あの時、誰の姿が脳裏の過ぎったのか、思い出そうとしても思い出せない。今現在、自分に恋愛対象と言える人間がいるだろうかと、再度確認する。
(やめた、どうでもいい)
 壽一自身、結婚と恋愛は別物だと理解している。幼い頃から鷲尾物産の後継者として教育される中で、必ず付いて回った思想だった。そう遠くない将来、花嫁候補の中の誰かと結婚するのだと覚悟していたが、その誰かが茉莉絵になろうとは。一番、有り得ないと思った相手だ。
 部署に戻って席に着くと、腹立たしさが倍増する。茉莉絵に対しては言うに及ばず、四月に彼女と関係した夜の自分に。むしろ後者の方が忌々しい。あの夜、壽一はガードが甘かった。ところどころ記憶が怪しいのだ。いつもは自分で装着するコンドームを茉莉絵に任せたかも知れないし、数回目には着けずにした可能性もある。
 ガードが甘くなったのは、別のことに意識を取られていたからだ。別のこと――横断歩道を渡る雅樹の姿。
「課長、三番にお電話です。川上産業から」
 八年間思い出しもしなかったのに、あれほど気になったのはなぜか。それを考えようとした時、外線電話が入り、壽一は仕事モードに引き戻された。
 
 



 
 
 ドアの開閉音がしたので、例によって足をはみ出たせ、ソファに無理やり横たわっていた壽一は、読んでいた雑誌から目を離した。時間は午後十時をとっくに過ぎている。雅樹の帰宅時間にしては遅く、「やっと帰ってきたか」と思うと壽一の眉間に自然と皺が寄った。
 威一郎と結婚の件で話してから半日憤懣やる方なく、壽一の気持ちはささくれ立っている。雅樹と食事にでも出ようと思っていたのに残業になるし、来てみれば彼もまだ帰っていないしで、更にイライラが募っていた。雅樹が帰宅したならすぐにでも押し倒して、快楽を貪りたい――壽一は身体を起こして腰を浮かしかけたが、リビングに入ってきた雅樹の様子を見て座り直すに留めた。雅樹はかなり疲れた様子だったからだ。
「来ていたのか」
 玄関に靴があるから来ていることはわかるはずだが、雅樹は確認するかのように言った。壽一は前日もここに来ていて、二日続けて来ることは今までなかったので意外だったのだろう。
「来る来ないは勝手だろ?」
 壽一の答えに彼は浅く息を吐き、「そうだな」と言って書斎代わりにしている部屋に鞄を置きに行った。そう言う動作をする時は、秘匿の必要性のある書類を持っている時で、取引先からの直帰か、仕事を持ち帰ったことを意味している。同僚か誰かと飲みに行って帰りが遅くなったのではなさそうだ。
戻って来た雅樹はリビングを横切り、バスルームへと向かう。バスタブに湯を落とす音が微かに聞こえた。再びリビングに戻ってくると、今度は壽一の向かいに座った。
「先に風呂、入ってもいいかな?」 「飯は?」
「夕方に軽く食べたから、そんなに空いてない。ジュイチは?」
 ずっと待っていたと言うのも癪だったので、「食った」と答える。そんな短いやり取りの間でも、雅樹はうつらうつらとして今にも眠ってしまいそうだった。
 雅樹が働く法律事務所は、最大顧客の鷲尾物産の他にもクライアントを多数抱えている。雅樹は主に民事を担当しているが、弁護士として偏りがないようにと、時折、刑事も扱っているらしい。ここのところ国選弁護人として刑事を手掛けていて、精神的にきついのか、情事の後、死んだように眠っていることが多かった。
 身体が大きく横に傾ぐと、雅樹はハッと顔を上げた。
「先に風呂に入って来てもいいかな」
 さっきと同じ質問を繰り返す。疑問形ではあるが、言った時にはもう立ち上がってバス・ルームへと歩き始めていた。その後ろ姿を見て入浴中に眠ってしまうのではないかと壽一は思った。案の定、一時間近く経っても出てくる気配がなく、様子を見に行くと、バスタブの中で雅樹は眠りこけていた。
「雅樹」
 声をかけると薄ら目を開けた。
「溺れたくなけりゃ、もう出ろよ。それに待ちくたびれた」
「…わかった」
 雅樹はノロノロとバスタブから身体を出した。まだ居眠りの状態から脱していないようだ。
 浴室のドア近くに立つ壽一の横を通り、棚のバスタオルに手を伸ばした。一連の動作を黙って見ている壽一に気づき、「なんだ」と言いたげな表情をする。
「俺も今から入るから、そのままベッドで待ってろよ。どうせ脱ぐんだし」
「今日は疲れているんだ。ゆっくり眠りたい」
「『運動』したらよく眠れるさ」
 壽一は脱衣しながら雅樹に言った。雅樹は否とも諾とも答えず、ただため息に似た息を吐き、身体の水滴をタオルで拭き始めた。
 壽一は彼の濡れた髪に手を差し入れ引き寄せる。それから驚いて半開きになったその唇に口づけた。腰に腕を回し、後頭部を掴む手と共に動きを封じた。そんなことをしなくとも雅樹に抵抗の気配はなかったが、抱きしめずにはおれなかった。
軽く舌を絡ませた後、雅樹を離した。彼の身体はキスに微かに反応している。それを見て雅樹は鼻で笑った。
「疲れてても、『ソノ気』にはなるんだな?」
壽一はそう言うと、浴室に入り扉を閉めた。