小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

いつか『恋』と知る時に

INDEX|12ページ/14ページ|

次のページ前のページ
 

(7)転 機





「何だと?」
「だから、妊娠したって言ったの」
 その日、壽一は斎川茉莉絵に呼び出された。四月にあった壽一の帰国祝いの集まり以来だから、三ヶ月近くが経っている。
 何度かデートの誘いを受けたが、壽一は多忙を理由に聞き流した。彼女とデート、つまりはセックスする必要がなかったからである。壽一は空いた時間を雅樹との逢瀬にあてている。今の興味は雅樹にのみ向けられ、男盛りの身体にも不自由はない。
 ごくプライベートな件で、壽一も人に聞かれたくないと思うからと言われ、茉莉絵のマンションに出向いた。彼女の口から出たのは、妊娠したと言う話。
「ジュイチの子よ」
「何、馬鹿なこと言ってる。おまえとは四月以来、会ってないぞ?」
「その四月の時の子に決まっているじゃない。あれ以来、誰ともセックスしてないもの」
 そんなことが信じられるとでも思っているのか、この女――壽一はあからさまに疑う目を向けた。
 美人で自由奔放な社交家の茉莉絵は、『彼』が切れたことがない。壽一の知る限り、少なくとも大学在学中は派手に遊んでいた。壽一が帰国するまで男日照りであったはずがなく、四月からこっち誰とも関係していないと言う話も信じられなかった。第一、あの夜、壽一はコンドームを使っていた。
「コンドームだって完全じゃないのよ。中には不良品もあるかも知れないし、夢中になって外してしまうことだってあるでしょう?」
(こいつ、何か細工したのか?)
 だとしても壽一は動じない。自分の子であろうとなかろうと答えは決まっていた。
「じゃあ下ろせよ。請求書を回してくれたら病院代くらい出してやる」
 茉莉絵とは遊びの関係だ。花嫁候補の中に入っていても、彼女とは『ない』と思っている。
「下ろす気はないの。だって鷲尾物産次期社長夫人の肩書って魅力的じゃない?」
 壽一は冷めた目を茉莉絵に向ける。彼女はきれいに引いた唇の端を上げ笑みを作った。
 茉莉絵は現在アパレル会社で広報の仕事をしているが、いずれは自分のブランドを立ち上げたいと話していた。鷲尾には服飾部門もあり、社長夫人の肩書もだが野心を満たすためにも、壽一との結婚は魅力的なのだろう。
「それに私ももう三十才だし」
「結婚に興味はなかったんじゃないのか?」
「興味なかったわけじゃないわ。そこら辺にいる男じゃ嫌だっただけよ。結婚するなら最高の男がいいって決めていたの。ジュイチみたいなね」
「まるで狙っていたみたいな言い草だ」
「チャンスはあると思っていたから、最大限に利用しただけ」
 胎児のDNA鑑定は認められていない。たとえ生まれてからの検査で壽一の子ではないとわかっても、二人の間に性交渉があった以上、男側に責任を負わせる術はいくらでもあるだろう。それは後々、壽一のみならず鷲尾家にもマイナス要因になる。茉莉絵のバックには政界と財務省がついているのだ。
 壽一はそんな脅しめいた事情に屈しないし、むしろ受けて立つつもりでいた。
「勝手にすればいいさ。責任を取れと言うなら取ってやる。ただし結婚以外でな」
 壽一は話を打ち切って、茉莉絵のマンションを後にした。部屋を出る時、彼女がまだ何か言ったが、聞く耳を持たなかった。大方、「事を大きくするわよ」的な、つまりは威一郎に話を持って行くとでも言ったのだろう。
(親父がこの手のことで動揺するもんか)
 威一郎のことだ、茉莉絵の周辺を調べ上げ、小娘の浅知恵にはそれなりに対処するだろう。彼女の本来の素行を知れば、鷲尾家の嫁にとは考えないはずだ。
 ところが事態は壽一の思惑とは違う方向に動く。「小娘の浅知恵」は摂るに足らないことだったが、彼女のバックボーンには価値があったのだ。
 父・威一郎に呼び出されたのは、それから半月ほど経った頃だった。
 社長室に入った途端、いつもとは違う空気を感じた。執務席に座る威一郎は手元の書類から目を上げ、壽一を見る。不機嫌とも怒気とも取れる表情に、仕事で何か失敗しただろうかと考えたが、壽一に思い当たる節はない。
「そこに座れ」
 社内では壽一を一社員として扱うことを徹底している威一郎が、来客用のソファを指差したので、呼ばれた理由がプライベートであると察する。よもや雅樹とのことがばれたのか――壽一は警戒した。
 手にしたA4の茶封筒をテーブルの端に置き、威一郎は壽一の向かいに座った。
「斎川さんのところのお嬢さんを知っているな?」
 茉莉絵の苗字が出た。
(そっちの方か)
 どうやら彼女は実力行使に出たらしい。
「知らない仲じゃない」
「そうだろう。何しろ、妊娠していると言うことだからな。先方はおまえの子だと言っているが?」
「身に覚えはあるけど、俺の子かどうかはわかりませんよ。何しろ彼女には『ボーイフレンド』が多いから」
「確かになかなかの発展家らしい。一度、松永さんがお連れになってコースを一緒に回ったことがあるが、物怖じしない社交家で、かなりの美人だった。あれじゃ、男が放っておかんだろうな」
 松永と言うのは、過去三つの大臣職を歴任し常に与野党内で力を持つ代議士で、茉莉絵にとって母方の祖父にあたる。六人いる孫の内、女の子は彼女だけなのでかなり溺愛しているらしく、大学時代の夏休みには秘書として外遊に同行させたりもしていた。茉莉絵が世間知らずの令嬢ではないことを威一郎も承知しているが、花嫁候補からどうしても外せないのはそう言う事情があるからだった。
 威一郎は茶封筒を壽一の前に滑らせた。
「妊娠十三週目を過ぎたそうだ。中絶は可能だが死産として扱われる。死亡届けも出さにゃならんから、つまりは戸籍に疵が付く。嫁入り前の娘にとって、それは不味いというわけだ」
 壽一は茶封筒を手に取りもしなかった。
「俺の子じゃないかも知れないのに、責任を取れと?」
「お嬢さんは絶対の自信を持っているようだぞ。調べさせたら、確かに派手な夜遊びは控えていたらしい。彼女の方が一枚上手だったな?」
 威一郎は深く椅子に背を埋め、下目使いで壽一を見た。見下されたように感じたので、壽一はムッと唇を引き結ぶ。そんな息子の内心を見抜いたのか、逆に威一郎の口元は綻んだ。それから不敵とも見える笑みを浮かべ、今度は少し前のめりの姿勢を取った。
「なに、生まれて来る子がおまえの子でないなら、それはそれでこちらには好都合だ、松永さんと斎川さんに恩を売れる。おまえの子で男なら当然跡を継がせるし、娘だったら将来、おまえの役に立ってくれるさ。どう転んでも鷲尾に損はない」
 伸び悩んでいた会社を立て直しただけあり、威一郎の考え方は経営者として利に叶っている。壽一の『失敗』の相手が茉莉絵で幸いだったと云わんばかりだ。
 まだ三十才だからと急ぐことはないと口では言いながら、威一郎からのプレッシャーは日増しに強くなっていた。しかし壽一は帰国してから何かと理由をつけて見合いをしようとせず、言えば言うほど頑なになる息子の性格を知る父は、どうしたものかと思案していたに違いないのだ。そこへ今回の件である。