涼子あるいは……
父親は医者だ。金吾は父親には会ったことがなかった。母親は、甘やかしすぎてあんなになってしまいました、たいそうご迷惑をかけていると思います、申し訳ありません、と言っていた。
「五月の遠足で、ぼくと涼子先生と交代で友彦をおんぶして、御嶽山に登ったよな。最後はぼくがばててしまって、涼子先生がずっとおぶってたっけ。お弁当も涼子先生の膝の上で食べてただろ? おかずを分けあって、いちゃいちゃと。そのでか頭で涼子先生のあごを突っつきながら。将来の計画でも話しあっていたのか。ぼくも障害者になりたかったぜ」
こういう口の利き方は、金吾もクラスの生徒も、友彦に対しては日常化している。
「なる勇気などないくせに」
怪物少年は美しいボーイソプラノで答えた。
金吾は、このようにして全員の思い出を語り終えた。一人当たりは、わずかの断片だったが、その集積はたいした量となった。二時間かかった。
一巡りした安堵感からか、ふと眠気が襲ってきた。悲しみとともに。
うとうとしかけた。眠気を晴らそうと、首を無理やり左右に捻じ曲げた。熱血先生にふうに、感動的な大声を発する。
「この教室に山岸先生はたびたびいらっしゃった。あちこちに先生の思い出が残っている。その思い出の跡を指でさせ!」
生徒たちは、いっせいに腕を伸ばして窓や壁や床や白板を指差した。どういうわけか分からないが、自分の腹を指している子もいる。両手を使う子もいる。教室にいっぱいいっぱいの、大きなハリネズミが出現した。
八月六日金曜日午後一時
金吾は引き戸を滑らせて保健室に入った。ここでの思い出が匂い立った。
二人の男がソファから立ち上がった。一人は袋田警部、もう一人は金吾と同年齢ぐらいの若い刑事だった。ひょろりとした、ハンサムな男だ。福生署の剣道場で見かけたことがあった。金吾に軽く目で合図をしてきた。
「この者は福生署の町田巡査部長です。本日は記録係を勤めます。我々、岡田先生以外の方の聴取を午前中に片付けて、十二時から一時まで、聞き込みを一件済ませてここに着いたばかりです。昼休みしか空いた時間がない、と相手が言ってましたので。先生をお待たせしてしまって申し訳ございません」
「なに、かまいませんよ。昼飯を食いにいってましたから」