涼子あるいは……
祖父は、かつては銀座通りに店を構えていた名畳職人で、ヨーロッパの国営放送がビデオに撮りに来たそうだ。畳表をひっぱたく音が、朝の通りに響くと、近所の勤め人たちは、励まされたように家を出て駅へ向かったという。今はほぼ引退してマンションのオーナーだ。そのマンションの201号室が涼子の部屋だ。彰の祖父は涼子をかわいがっていた。彰は、現在親や妹と住んでいる南田園から、しょっちゅう祖父の家に遊びに来ていた。畳の打ちかたを習っていた。来るたびに、惣菜やらなにやら、おすそ分けを涼子の部屋に持って行かされていた。行ったらなかなか帰ってこないので、祖父が迎えにいって、これがまた帰ってこない。祖父と孫と、いっしょに何をしていたことやら。
「201号室へのお使いはもう終わったんだよなぁ」、と金吾が言うと、彰はあらためてわっと泣いた。
教壇のまん前、両手に顎を載せて坐っているのが鷲田友彦だ。ただ一人泣いていない。
障害児童で、背が103センチで止まったままだ。走れない。速くは歩けない。分厚い眼鏡のせいで、眼球が通常人の四倍ほどに拡大して見える。
しかし、正真正銘の天才児で、太郎とともにクラスのリーダーだ。全校生徒の圧倒的な愛情と尊敬、そして決して少なくはない嫉妬と憐憫の的だ。
平凡社の世界大百科事典を暗記しているとか、ギボンのローマ帝国衰亡史を暗誦できるという噂がある。春の音楽会では、グランドピアノに特製の足踏みをつけて、ミシェル・ペトルチアーニばりの即興演奏をやって見せ、聴衆の度肝を抜いた。踊るように弾いた。
週一回、数学叢書ブルバキの講読会を主宰している。当番の生徒が発表したあと、おもむろに仮綴本をペーパーナイフで切りながら講評し講義する。それを、太郎が猛スピードで板書していく。五六年生十人ほどが出席する。大学で理数系を専攻していた若い教師二名もオブザーバーで参加している。金吾は彼らに鷲田ゼミの感想を聞いたことがあった。二人ともしばらく絶句したままだった。やっと一人が、ありえねえなあ、と言った。続いて、もうひとりが、学生の時に分からなかったところが理解できてうれしい、などと言った。
この二名以外の教師たちは友彦を敬遠し、中には、永遠の103センチ、などというあだ名をつけてうさを晴らしている者もいた。