涼子あるいは……
いつもじゃれあっている。将来は吉本に入ってコンビを組み、漫才師になりたいと言っている。得意のネタは、爆笑箱根の駕篭かき、という代物だ。相撲取りを乗せ、駕籠を担いで山を登り、だんだんへばってやる気をなくしていく様子を演じる。持ち上げるだけでも往生な相撲取りを、谷底へ捨ててしまおうかと、相撲取りが解せない関西弁で陰謀をたくらむあたりは、金吾も腹を抱えた。学芸会では手作りの駕籠に相撲取り役の涼子を乗せ、汗ほとばしらせて熱演し、喝采を浴びた。運動会で使う着ぐるみが倉庫にある。赤鬼、青鬼、スーパーマン、キングコング。相撲取りのもある。それを涼子がまとって出た。エロティックだと感じたのは金吾だけではなかったろう。屈んで乗った駕籠の下から足が出ていた。谷底に捨てられる寸前に駕籠の底が抜けて涼子がしりもちをつくおまけもあった。
今、金吾が学芸会の思い出を語っても反応はなく、二人はそろってうめき声をたてて泣いている。泣く息継ぎのタイミングが一緒だ。まるで二重唱だ。泣きながらも手でつつきあいをしている。
乙女も静かに泣いていた。冷房が効いているのに頬と鼻の頭に汗の粒をうかべ、紅潮した顔面を白板に向けていた。
クラスの揉め事はまず乙女のところに持ち込まれる。真摯な折衝と狡猾な根回し。最後は涙に訴えてでも解決する。その機微を解した上での手際のよさに、特に女の子たちは実の母親か姉を見るようにうっとりする。子供の世界に入り込んできた世間知。それも、最もスマートで誰の恨みも買わない無難な類のものを、乙女は体得していた。
「乙女、山岸先生が、乙女ちゃん、おばあちゃんになっても乙女だなんて羨ましいわ、と言ったら、四十になったら?お?をとるもん、って答えたよな」
反応がない。白板を透かしてどこか遠くを見ている。思慮深そうで、毅然としていて、姿勢がよい。とても十一歳とは思えない。もうすでに?とめ?になっている。
鳥海彰は、小柄で敏捷で手先が器用だ。