涼子あるいは……
そもそもは愛などという空虚な、ほとんど笑止な翻訳語にこれまでこだわったことはなかった。愛など、つつきまわして時間をつぶすための玩具に過ぎなかった。涼子も愛を口にするときはスイカの種を吐き出すふうで、愛に関する幻想は一切持っていないようだった。
愛してるわ、わたし。ぷっ。愛してるよ、ぼくも。ぷっ。
実際そう言い合いながらスイカの種を飛ばす季節がもうすぐ来るのを金吾は楽しみにして待っていた。
ところが今日の金吾は落ち着かない。
今さら愛に拘泥しているのはなぜだろう。せせらぎと風の音、陽光、草いきれ、尻から伝わってくる地面の暖かさなどが、自分の体内に鬱勃としたなにものかを生じさせたからなのだろうか。涼子にますます惚れて溺れて、ついに今まで越えたことのないある閾を超えたからなのだろうか。気遣いに還元できない愛があるのかもしれない。それを生まれて初めて体験し始めたのかもしれない。愛を見直してやってもいいかもしれない。
涼子は嫣然と微笑む。涼子のほうは落ち着いていた。
「そりゃあ、あなたはされていたんでしょうよ。私が気を遣ってたからって、しょげないでちょうだいよ」
金吾は敵の勘のよさに恐れ入る。
「私のほうは意識的にそうした覚えはないわ。得意過ぎて自動的にしてきただけだからね。繰り返すけど、気遣いなんかに気を遣わないで」
金吾は素直に安心した。次の言葉を予想する余裕が出来た。ひらめきがあった。外れそうもない。おもむろに横を向いて涼子の薄い唇がさらにうごめくのを期待を込めて見つめた。失笑を演じる準備を整えた。
「私が意識的にしてきたことはそんなことじゃないの。
金吾さん、あなたにはこの一ヶ月半、私が一番不得意なことを試みさせていただいたわ。その試みは大成功だったの。あなたの最も馬鹿にしてる言葉のひとつを使わせてもらいます。あなた、うへーっ、て叫ぶわよ。いいかい? 私はア、イ、を試みてたのよ」
ほら来た。
金吾は空を仰いで本気で笑った。失笑どころか凱歌に近かった。
涼子はつられて笑いはしない。金吾が気になって横目で窺うと、馬鹿笑いをかわいそうがっているような大きな目とかち合った。金吾はあわてて笑うのを中止し、しかつめ顔を作りながら言った。
「悪いけど蕁麻疹が出てきた」