涼子あるいは……
金吾は、しばらくこぐ脚を止めて、後ろを向いたまま涼子を観察した。涼子が一本の桜の木の傍らを通過すると、午前の陽光は一瞬翳る。次の一本までは、光のうちに、涼子の白い肌と白ずくめのいでたちと白い砂利道が渾然となって輝く。次に控える桜の木が投げかける陰は、金吾の瞳孔が機敏に開かないせいで、昼とは思えない暗さだ。
金吾は、涼子が固定したトレッドミルの上でこぎ続け微笑み続け、桜並木のほうが急速に後退していくような錯覚にとらわれた。さらに、並木のなす光と影の交代が、昼と夜の高速の交代のように、年月のたちまちの経過のように思われてきた。年月がいくら経過しても、涼子は微笑み続けていた。若く美しいままだった。
このとき金吾が涼子の死を予感してもおかしくはなかったろう。年月に侵食されない若く美しいままのイメージは死だけに可能な、残された者に贈る慰めだからだ。しかし、輝かしい五月の陽光は死への連想を許さなかった。
金吾は涼子のハンドルを掴まえている両手を見て想像をたくましくした。
その両手は車椅子を押していた。乗っているのは年老いた金吾だ。涼子は若く美しく微笑みを絶やさない。金吾は思った、こんな涼子につり合うためには、自分はせいぜい美しい老人にならねば……
二人は自転車を土手道の横に寝かせて、斜面を二三メートル下った。犬の糞がないかどうか確認してから、草むらに腰を下ろす。眼の先で、堰が川を横切っている。水は川辺の真菰と川底の水草を揺らめかせながら悠然と流れていた。真菰の根元や水草の狭間は青黒くうす濁り、思い出してはいけない悪い記憶が潜んでいるかのようだった。水は堰を音立てて乗り越えていく。乗り越える直前に盛り上がる水の嵩が、水浴びをする動物の背を思わせた。小さな瀑布は落ちたところに校庭の白線のような白い泡の筋を川と垂直に引いている。
斜面の緑に、タンポポの黄、春リンドウの薄紫、へびいちごの赤が散っている。草陰に紋白蝶が見え隠れし、あしなが蜂が上空を突っ切っていく。桜並木は、二人の噂話をしているように風にざわめき、若葉を透過した日光が涼子の全身をうっすらと緑色に染めていた。
金吾は見とれているのを気づかれないようにいかにも大切なことを語る振りをした。