涼子あるいは……
面と向かっている時は、大量の日常会話を交わした。会っていない時は、寸暇を惜しむように、涼子という人格の分析と解釈と鑑賞に耽った。その結果を携帯で伝えるか、メールで送った。返信をわくわくしながら待つ。返信を読みながら、笑いこけたり、うーんと唸ったり、まさかね、とつぶやいたりする。二人は中高生のように携帯のヘビーユーザーだった。面と向かっていてなおかつ会話を交わさないのは、性行為に熱中しているときだけだった。
性的探検旅行には、ほぼ毎晩部屋にこもりっぱなしで一ヶ月以上かかった。ようやく一息ついた頃、金吾は涼子を思いつきでサイクリングに誘った。五月の連休のうちの或る一日のことだった。
平井川の堤の上を、金吾が先に立って走った。桜並木が延々と続いていた。そよ風というにはやや強めの風に枝々は動揺しっぱなしだ。しかし、それぞれが間隔を保って平行に横揺れするので衝突どころか擦過すらもしないのには、なにやら人を感心させるところがある。葉は三月末の花びらのようにたわいなくはない。一枚も枝から離れることなく、枝の揺らめきにはざわめきで応えていた。
一本の桜の木の傍らを通過するたびに、葉のざわめきが大きくなる。木と木の間でややしばらくの休憩があり、また次の桜の木の傍らでざわめきが高まる。沿道の観衆がマラソンランナーに向かって声援や拍手を送っているみたいだった。
金吾は頻繁に後ろを振り向いた。三メートルほど後ろに涼子がいた。白いテニスシューズに白い靴下。パンストは合うのがないので穿いていない。白のポロシャツ。胴に茶色いポシェットをつけている。頭の前後に突き出ている白いヘルメット。前かがみになってマウンテンバイクのハンドルに上半身を預けている。ヘルメットの先端が眼と眼の間を矢印のように指している。金吾が振り返るたびにその眼が口といっしょになって微笑を作る。
かならず微笑を見ることができるのは、涼子が、景色なんぞちっとも見ずにただひたすら前だけを見つめているからだ。金吾が体をねじる瞬間、涼子は自分をふり向いてくれると察して微笑む。ずっと金吾を見ているから、一度もその瞬間をはずすことがない。金吾はそう考えてほくそえむ。この注視と微笑による挨拶には感謝すべきだろう。他人が見たら、仲がいいのね、愛し合ってるのね、と微笑むことだろう。