涼子あるいは……
道路は、河岸段丘を緩やかに下り始めた。金吾は、バイクの変速ギアを切り替えた。脚に新たな負荷がかかった瞬間、記憶がよみがえった。あの時とギア比が同じだった。三ヶ月前も、このマウンテンバイクで川に向かって走った。後ろから涼子がついてきた。
涼子と知り合ってからの一ヵ月間、金吾は実に多忙だった。
小学校教師としての仕事が多忙だったのではない。それは多忙どころか何ほどのこともなかった。
教室以外での仕事は、際限なく供給される雑務を幾通りかの処理法で端から片付けていくことに過ぎなかった。要領だけが問題にされる。余計なことは考えないように、個々の雑務同士の関係はわからないようになっていた。意図的にそうしてあることは、金吾にはすぐわかった。ピースである雑務を組み合わせてジグソーパズルの絵柄全体を見てしまうことは余計なことなのだ。金吾は、権力の素顔が、かえって末端でよく見えてきそうな期待をもてたので愉快だった。ただし、すぐさまパズルを完成するのはもったいないような気がして、当面は粛々と日常業務をこなしていった。
教室は興味深かった。仕事の場とは思えなかった。金吾は病から快癒したような解放感を味わった。少年のころの全能感がよみがえりそうだった。
五年三組は優秀児のための特別学級で、フリースクールとなっている。文科省が許可した文科省無視のクラスだ。学習内容は金吾と生徒たちの合議で決める。一斉授業はほとんどしない。いくつかのテーマ別にグループ分けがされ、基本的には生徒の読書と検索と討論とレポート提出で学習が進んでいく。金吾は助言と批評をしていればよい。しばしば自分の体験談を披露する。グループは固定しておらず、生成消滅分割統合がしょっちゅうである。優秀児たちは、このスタイルによる訓練によってますます優秀になっていく。
彼らが何より嫌うのは、盲目的な訓練に従わされ、奴隷扱いされることだ。金吾もそうされることを嫌ってきたから生徒をそうは扱わない。金吾のナイーヴさ、偉ぶらないところ、生徒といっしょにその場で考える態度、生徒を子ども扱いせず、手加減をしないところが受けて、金吾と生徒たちとの密接な信頼関係がわずかの間で出来上がった。だがここでも金吾は多忙ではなかった。
涼子との付き合いが、金吾の日常を多忙なものにした。