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涼子あるいは……

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机の引き出しを引いて瞬間接着剤を取り出した。その二つをもって鏡の前に立つ。そっと鏡の右上の角を手前に引く。鏡がたわみ、一センチほどの隙間が出来た。CDを鏡の中央に向かって落とし込む。接着剤を一部がむき出しになっているはずのボルトをめがけてたらす。鏡を押さえつけてしばらく待つ。接着剤をもとの引き出しに戻してくる。壁に頬を押し当てて横から見て、鏡が膨らんでいないか確かめる。最後に鏡に映った自分らしからぬ自分をあらためて睨みつけてから外に出た。
階段を駆け下りて、駐輪場から自転車をひきだした。金吾の部屋は窓が半開きでもひんやりしていたが、外の大気はすでにどろりとぬるい。たちまち額とわきの下に汗が滲んできた。頭痛と耳鳴りが止まらない。鼻血の臭いにむせて小さな咳をひとつした。マンションの脇を抜けて玄関前に出た。自転車を押して歩きながら空を見上げた。夜が明けかけていた。紺青色に染まった空を背景に、うっすらと朝靄が流れている。
金吾は通りに出る地点で立ち止まった。
右に行こうか左へ行こうか、迷った。
右に行けば、銀座通りを通って、段丘を一段降り、田園通りを経て、五小に着く。左に行けば、駅前広場を横切ってすぐのところに涼子のマンションがある。金吾は狼狽と堂々巡りで時間をとってしまったことを悔やんだ。はやく学校に行かねばならない。だが、同時に着くように按配したから、と言って、相手に余裕を与えずにすぐ来させようとする教頭が、勝手な人間に思えてきた。無神経であるとも感じられた。
腰骨のところにマウンテンバイクのサドルがよりかかっていた。それが、ふと、涼子の腰骨のように感じられた。押している圧の度合いに記憶があった。
マンションの門柱代わりに、ヒイラギが植わっている。突っ立っている金吾の左の頬を、ヒイラギの棘がやんわりと刺していた。
蚊が集まってきた。羽音が人々のささやき声に聞こえた。涼子と金吾に関する噂話を交換しあっているように聞こえた。カナブンが飛び過ぎていった。
金吾は深呼吸をした。
目の前に広がる町の光景が異様だった。何もかもが別物に見えた。仮面をかなぐり捨てて町は正体をあらわし、機能や手段や意味や習慣の奴隷だったものたちが反乱を起こしたように見えた。そう見えるのは自分が狂気に陥りかけているからだろうとかすかに意識した。
作品名:涼子あるいは…… 作家名:安西光彦