涼子あるいは……
たった十歳の太郎に嫉妬を抱く自分が情けなかった。こんな下劣な感情にからめとられるのは不甲斐ないと思った。しかし太郎を憎んだ。心底憎んだ。さらに、何たることか、太郎の子を孕んだ涼子を、一瞬間だけ、太郎よりもはるかに憎んだ!
「もっと言え! 聴いているのか! 足りないぞ! もっと言え!」
友彦はボーイソプラノを張り上げて叫んだ。両腕を体の前で祈るように合わせ体を折った。それから腹を突き出してくねくねと腰を揺らしながらまわりはじめた。踊る友彦は狂気のさなかにあるようだった。喜びに痙攣しているようだった。
「もっと言え! 大きな声で、はっきりと、さも憎々しげに!」
そのあとの友彦のことばは近くに雷が落ちたせいで聴こえない。雷の中心があるとすれば、今まさにそれは頭上にあった。
友彦は大きな靴をうち鳴らしながら戦いの前のズールー族のように乱舞している。今両手はひらひらと宙を這って、見えないピアノを弾いている。
金吾は罵詈雑言をうわ言のようにわめいた。何を言っているのか自分でもわからなくなった。荒い息をついた。左手で汗をぬぐった。こめかみがトロッコの疾走するような音を立てて脈打っていた。
そして、なにかが聴こえてきた。
聞き覚えのある音。ついさっき聞いたようでもある。遠く懐かしい音のようでもある。友彦の金切り声とも、雷鳴とも、にわか雨の雨音ともちがう、別の何か。耳を澄ます。聴こえてくる。確かに聴こえてくる。耳が外側に引っ張り出されるようだ。耳鳴りか? 少しずつ音が大きくなる。
思い出す。朝、遠くで野犬が吠えている。小さな装甲車の屋根にくるくる回る拡声器が載っていて、超音波を発して犬を誘う。頭の芯に錐を刺されるようで、飛び起きてしまうあれ。
近寄ってくる。さらに雷鳴がとどろく。耳がうずうずしてくる。
さっきの蚊が舞い戻ってきのか?
うーん、うーん、うーん、うーん。
耳がなる。こそばゆいほどだ。もうすぐ蚊がとおりすぎるのだろう。それとも刺すか?
右の耳だ。右の耳がおかしい。益々ムズムズする。
そもそも、これは、音なのか?
雷、静電気、雷、静電気、下敷き エボナイト棒、金属、静電気、金属、避雷針、静電気、金属、避雷針、金属…… 金属針?
金吾はとっさに顎を引いた。同時にうなじを冷たいものが掠めた。



