涼子あるいは……
「ぼくは岡田金吾。すでにお耳に達しているかとも思いますが、今年度からの新任です。五年三組の担任となります。これから校長先生、教頭先生、事務長との打ち合わせがあります。ちょうど一時間かかります。今三時半。四時三十分までかかります……」
金吾は、こんなにも美しい女がこの世にいるとは、と感嘆あい止まず、冷静になろうと努めてかえって焦った。一つ大きな深呼吸をした。剣道の試合中、チャンスと見たら躊躇せず小手をとりにいくように、言葉を突き出した。
「四時三十五分に、ここでまたお会いできますか?」
まなざしは夢見るようなままに、落ち着いた、凛と張りのある声が応えた。声までが美しかった。もはや音楽だった。
「お待ちしております」
金吾はうれしさのあまり羽ばたいて飛び上がりかけた。ふと、ずっと前から金吾を待ってくれていたのだというばかばかしい錯覚にとらわれた。待ち伏せでも、こういうのになら、切られてやってもいい。
金吾は右手を伸ばすと、彼女の額に張り付いた桜の花弁をはがして食べてしまった。植物の繊維の酸い匂いに混じって、少しだけ汗の塩っぽい味がした。彼女はその間微動だにしなかった。両眼をかっと開いたままじっと金吾を見続けていた。その眼には若い女のありきたりの媚や愛嬌などは微塵も窺えなかった。そのかわり、なんとありがたいことか、竹刀を大上段から振り下ろす刹那の、裂ぱくの気合がこもっていた。
その日の晩に男と女の関係になった。
あっという間に時は過ぎた。
金吾は我に返った。眼を見開いた。ガバと跳ね起き、立ち上がった。いったいなにをしているのか。ぼさっとしている場合か。ぐずぐずするな。金吾の心の中に怖気や生理的な反発を凌駕して、現場を見たい、という切実な欲求が勃然と湧き上がってきた。