涼子あるいは……
私の死はひとつの事件として警察の膨大な記録の山に埋もれるでしょう。しかし、それだけでは終わらない。私を突き動かしてきた何者かは、おしとどめることのできない波動として私の死後も八方に伝わっていくでしょう。急増殖する癌としてはびこっていくでしょう。私の死がそれの勢いを少しでも削ぐことになればよいがという願望を持っています。
事態の収拾のために、あなたなら何かをしてくれそうに思います。どうしてこんなことになったのか、原因となった私がどう作られたのか。あなたに白状しておくことは、あなたが今後どうやっていくか、についてのささやかな助言になるでしょう。
私のことはどうか忘れてください。しかし、私を作り上げた事態はどうか理解してください。ああ、私はなんて難しいことをあなたにねだっていることか!
私の恐れるのは、あなたが事態をよく理解しすぎてしまって、諦めを確かなものにすることです。収拾を放棄することです。そうなったらもう仕方ないですね。
話のなりゆき上、もうご存知の事柄も混じるかもしれません。そういうところは飛ばし読みして下さい。
義父のことをお話します。
彼は諏訪セイコーのエンジニアでした。外見は、地味で、欲がない、辛抱強い、温厚篤実な人物としてとおっていました。釣りが趣味で、あとは一人でパズルをしていました。しかし。工学系なのに、かつては熱烈な政治青年でした。その後遺症のせいで、内面に激しい鬱屈を抱えて生きていました。
東京工大時代は私の実父の親友で、同じ研究室に属していたそうです。私の母と彼ら二人の学生時代の三角関係を、子供の頃の私はあれこれと想像して楽しんだものでした。
私のことは、彼の言うのには、生まれて一時間後から知っていたそうです。病院の新生児室にいた生まれたばかりの赤ん坊の私を実父といっしょに見ているらしい。
母が義父と再婚したのは、私が四歳のときでした。実父が交通事故で死んだ一年後のことです。母は、私が六歳のとき、重症複合性肺結核にかかってしまい、療養所生活を送るようになりました。息をするたびにオカリナを吹くような音をたてていました。私が九歳の時に死にました。死は子供のころから私の身辺に出没していました。義父がいるものの、私は孤児となりました。



