涼子あるいは……
涼子が生きていたときは、涼子の影、分身、片割れ、痕跡、片鱗は、そこかしこに隠れ潜んでいた。死んでしまうと、ホログラフィのように浮かび上がってきて、金吾の視線の邪魔をする。なにを見ても結局涼子が見えてくる。悲しみは、視覚には捉えられない無形の感情だけを蚕食すると思っていたのに、金吾の外部へ向けての視覚をも歪曲してしまった。そうなった眼で見る外界は、金吾に劣らず涼子の死を悼んでいるようだった。
金吾は眼をつぶってみた。それでも涼子は消えなかった。瞼の裏に、初めて会ったときの白衣を着た涼子が浮かびあがった。
桜が満開の三月末のことだった。風が強い日で、校庭には、桜の花びらを巻き込んだ小さな竜巻がいくつも立ち昇っていた。それらのひとつに導かれるようにして、金吾は校舎に入った。春休み中なのに、運動会や音楽会の練習のためなのか、たまたまその日が登校日だったのか、生徒たちがひしめいていた。昇降口では、校庭へ出ようと急ぐ子供たちの流れに抗して、杭のように立ちどまざるをえなかった。誰かがドアを開けるたびに、春の嵐が、手持ちには事欠かない花びらを吹きつけてきた。殺到する桜の花弁は、結局は靴箱と床のなす直角に沿って、あるいは壁と廊下のなす直角に沿って、死屍累々堆積していった。
小さなスリッパばかりだった。来賓用の箱を開けても同じだった。履けそうなスリッパを探しながらうろうろしている金吾の眼の前に、一足のスリッパが横あいからぬっと出てきた。特大のスリッパを右手に掴んで無言で突き出したのが涼子だった。桜の花弁が白衣に二片、額に一片、張り付いていた。ピンク色だが血痕のように見えた。特に額の花弁が不吉な感じを与えた。