涼子あるいは……
妊娠問題の難点は、太郎の血液型がO型マイナスであることだった。山岸と太郎の間で激烈な口論があった。山岸は、RHマイナスなど何のハンディにもならない、現に太郎がそれを実証しているではないか、と主張した。太郎は、自分が人知れずいかにびくびくして暮らしているか、いかに将来に不安を持っているかを必死で訴えた。同じ不安を抱えて生きるような子供は存在してもらいたくないと中絶を懇願した。山岸は取り合わなかった。われわれは急速に山岸殺害へと傾いていった。
太郎の主要な殺害動機は私怨だ。それに、いわば、公怨が混じる。私の殺害動機は、公怨だけだ。私怨は皆無だ。たとえ涼子が私の子供を孕んでいたとしてもそれは変わらない。太郎と私の異なる点だ。
殺害した場合、山岸と胎児の血液は詳細に調べられるだろう。RHD抗体に関しては、山岸はDdだそうなので、父親がddなら50パーセントの確率でddの子供が生まれ、Ddなら25パーセントの確率でddの子供が生まれる。日本人の場合、Dがdと対称ではないのでのddの出現率は通常の二百分の一になる。Dとdの存在比が一対ルート二百マイナス一分の一だということだ。たとえば胎児がddの場合、50パーセントの確率でddの子供を妊娠させる可能性を持つ男子が二百人に一人の割合でしか存在しないから、特定はきわめて容易になる。どんな血液検査の結果にもRHプラスかマイナスかは明記されるからね。二百人中百七十三人は0パーセントだ。絞り込みが自動的にできているんだ。
私は小学五年生を警察が捜査対象にするはずはないと説得を試みたが、太郎はおびえた。少年犯罪が多発している今日、保証はないと主張した。そこで太郎の血液型の載っている唯一の公的記録である保健記録を改ざんすることにした。
さて、殺害方法はご存知だろう。実行者は私だ。
太郎と涼子が妊娠問題について激論を戦わせているすきに、彼女の背後に忍び寄って行為した。殺したということだ。
彼女は元バレーボール部のキャプテンであり、百七十センチを超える大女だ。いざとなったらわれわれをまとめて跳ね飛ばすだろう。子供に毒物など手に入らない。ほとんど力が要らず、抵抗を受けずに即死させる方法はあれしかなかった。



