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涼子あるいは……

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九時ちょうどにマイクを前にして教頭が指揮台の前に立った。三十度を超える気温にもかかわらず、黒の上下の喪服を着ている。指揮台は、通常時よりずっと校舎寄り、ほとんど花壇に接するあたりに置かれている。教頭が立っている位置は、普段台上で話す者がまっすぐ地面に落ちてきたところだ。教頭は黙ったまま正面を見つめていた。
右手には、あきる野から奥多摩にかけて、霞にぼやけてそれぞれが互いに識別のつかない、泥だらけのジャガイモのような低い山々が連なっている。日本中いたるところにある凡庸な山々だ。その後方、空の薄青とほぼ同じ色を帯びて富士山がそびえている。前景の山々が、小学生が遠足の思い出に描く絵のような稚拙な現実性を保っているのに較べると、あるかなきかわからないほどに空にまぎれた富士は、陰影のない切り絵、わずかに粉をふいた藍一色からなる幻影だった。発する非日常感はものすごい。昼間に迷い出た巨大な化け物がぬっと踏み出て、安穏としている手前の山々を背後から抱擁しようとするかのようだった。
近景をなすのは、まず、土手から二十メートル近い高さで多摩川の対岸に延びる河岸段丘だ。雑草と灌木が赤土の絶壁にへばりついている。その百メートル手前のこちら岸に、建売住宅、アパート、商店が謂集しており、右手に高層マンションが連なっている。
今まさに、段丘を背景に、白鷺が一羽、奥多摩に向かって、左から右へゆるゆると飛んでいく。多摩川の中心軸の上空を駆けている。東京湾から五十キロも離れているのに、川筋をたどって朔行する海風に乗って、伝令が飛来した。かすかに鳴き声が聞こえた。道をあけろ、もうすぐ来るぞ。
校門が面している田園通りは、今朝も下り車線が交通規制されている。徐行する車の運転手たちは必ず校庭を見た。事故見渋滞。確かにこの学校は事故にあっていた。左手、家並みの向こうには睦橋の渋滞の有様が見てとれた。たくさんのトラックが対岸はるか彼方まで立ち往生していた。エンジン音に混じって時折ヒステリックな警笛が聞こえてきた。
作品名:涼子あるいは…… 作家名:安西光彦