涼子あるいは……
「お邪魔しました。帰ります。また寄らせていただきます」
女史は、横たわったまま充血した流し眼で金吾を見あげた。そしてすすり泣きながら応じた。
「もう来ないでね。あんたを見てると胸騒ぎがするの。おばさん、何言うかわかんないわ。お見送りはしないわよ。さよなら、ね」
金吾は後ずさりしながら玄関に向かった。女史は両手で顔を覆った。すすり泣きが号泣に変わった。金吾はそっとドアを閉めた。
嗚咽でひきつった女史の声が閉めようとしているドアの隙間から聞こえた。
「あっあー、また引越しだわ。明日、校長先生に電話しなくっちゃ」
八月六日金曜日午後九時
十六号線の交通量はあまり多くなかった。そのぶん車のスピードが上がっている。速度制限を守っている車は一台もない。舗道を走る金吾の傍らを、どの車もタイヤを路面に叩きつけながら、どこかへと急いでいた。
道路の東側、フェンスの向こうはカリフォルニアだ。米軍横田基地が大平原のように広がっている。実際、カリフォルニア州横田エアベースで手紙が届くらしい。芝生の間に、点々と将校用の二階建住宅が散っていて、その向こうに、九階建のマンションがいくつも立ち並んでいる。ヘッドクォーターのビルも見える。軍用衛星を追跡する巨大パラボラアンテナが星空を睨んでいる。そのアンテナを透かして、今しもダグラス型輸送機が轟音を立てて滑走路に舞い下りようとしていた。
金吾は駐車場にマウンテンバイクを置いて、目白第二病院の東棟の植え込みにこっそり忍び込んだ。
面会時間は七時までだ。九時過ぎに入り込んで見つかれば、つまみ出されるだろう。金吾は救急車が来るのを待った。
やっと来た救急車からあふれ出た、救急隊員やストレッチャーをとりまいて泣きわめく家族や警官にまぎれて、金吾は病院に侵入した。二階には誰もいない。廊下と左右の病室のドアが薄暗い灯りに照らされて、向こうまで延びている。
三階に着く。312号の個室に校長がいる。教頭から聞き出しておいた。教頭は今日二回面会に来ていた。



