涼子あるいは……
うつむいていた女史は、ゆっくりと上半身をねじり始めた。それに連れて、やはりゆっくりと、頭部が金吾のほうに向かって裏返った。
金吾は冷水を浴びせられた気がした。棒立ちになって、次に来るものを待った。
「あんたが私から奪ったのよ。涼子さんは、あんたが来なければ、わたしだけのものだったのに。
あんたが初めて五小に来たときのことよ。あんたが正面玄関に足を踏み入れたとき、涼子さんスリッパを出したわよね。あんた、憶えてるわよねえ。忘れるはずはない。
涼子さんはね、あんたが赴任してくるのを前もって校長先生から聞いていたのよ。あんたがどんな人かって、詳しく知ってたの。あの日のあの時刻にやってくるのもわかってたのよ。あそこで待ち構えていたの。
あんたを見上げながら、涼子さんは、ああ、思っていたとおりの人だ、やっと来てくれたのね、待っていたのよ、と思ったんですって。
ああ、もう、私、妬けて、妬けて、あったま狂いそうだったわ」
ゆっくり金吾に向けられた横顔は、涙で濡れて斑になっていた。分厚いまぶたの下の半眼が、亀裂の奥の溶岩のように、赤く燃えながら金吾を捕らえて離さなかった。
「子供たちは、私を小間使いか御用聞きか、そんな感じで軽く扱ってたわ。尊敬心や愛情からでなく、ただただ、ぞんざいにね。わがままいっぱいの振る舞いをして。まるでいじめだったわよ。軽蔑していたから気楽だったんでしょうね。あの子たちのために、一所懸命だった私に向かって、デブだの、ブタだの、ばばあだの、よくもまあ言ってくれたものよねえ。私は顔を引きつらせながらも、子供なんだからと思って、傷ついたそぶりなんか毛ほども見せずに愛想良く受け答えして、ますます子供たちを甘やかしちゃった。
子供なんか、ほんとうは大嫌いよ。あの子たちは残酷な悪魔よ。
私が、いくらしても妊娠しなかったのは、私の体質が、子供を受けつけなかったからかも知れないわ。私、職業選択に関して大失敗をやらかしたのね。三十何年もあの子たちのケアをしてきて、今残ってるのは、あの子たちへのうらみ感情だけなの。
よくもよくも私を冒?し続けてきたなっ!
私は我慢の限界だと思ったから、早期優遇退職を願い出たの。
後任の涼子さんは、私のひがみ捻じ曲がった心を癒してくれて、亭主が死んだばかりの私を慰めてくれたの。



