涼子あるいは……
涼子は無言で金吾を見つめていた。例のあの眼が金吾を見つめていた。自制心が強い女だから、悲しそうな表情など見せない。ただ、何かを思い出しているのは推察できた。
「楽しい話ではなかったね、すまん」と金吾は謝った……
「おいおい、君、何を考えこんでるの」
「いや、犬のことで、ちょっと。 あの、涼子は、ずっと松本育ちというわけではなかったですよね」
「そう。松本生まれで、幼稚園から小五まで諏訪、それからまた松本よ。お父様は涼子さんがまだ赤ん坊のころに亡くなられたの。涼子さんが四歳のときにお母様が再婚されて、お二人は諏訪に移ったの。義理のお父様は諏訪セイコーの技師だったそうよ。涼子さんは、病気がちのお母様を助けて、小学校に入って間もないころから料理洗濯家事全般をなさっていた。しっかりもので健気でお悧巧さんだったんでしょうね。九歳の時にお母様がお亡くなりになったの。でも、そのつらさに負けずに、お母様の代わりになって家を切り盛りしてらした。
義理のお父様は涼子さんをそりゃあ眼に入れても痛くないほどかわいがってらしたそうだけど、涼子さんが十歳のときに亡くなったの。事故死よ。車が諏訪湖に転落したの。その時は涼子さんも同乗していて、九死に一生、助かったのよ。みなしごになった涼子さんは、松本の伯母様に引き取られたました。
私、涼子さんには悪かったけど、彼女に内緒で、諏訪湖の事件のことが載っている新聞記事を探したの。あったわよ。コピーを見せてあげる。そのアルバムの最後のページを開きなさいな。裏表紙と芯の厚紙の間に隙間があるでしょ。そこに挟まってるから」
金吾は震える指を隙間に入れて中をまさぐった。マンションの鏡の裏のCDを思う。
父親と車に乗っていて事故にあい、自分だけ助かった、とは聞いていた。しかし、触れられたくなさそうな話題だったので、あえて金吾のほうから事件の顛末を聞き出そうとはしなかった。出てきた拡大コピーは、おそらくは地方紙の三面記事の一部らしい。ニ段にわたっている。
その内容は次のようなものだった。
七月三十一日(日)午後三時半ごろ、会社員、高倉洋一(四三歳)が、諏訪市高島の諏訪湖ヨットハーバーの岸壁から、運転を誤って湖に車ごと転落し水死した。酒気帯び運転の可能性あり。同乗の長女、高倉涼子(十歳)は自力で脱出して無事だった…



