涼子あるいは……
金吾はキッチンに走った。冷蔵庫を開いてすでに半円形になった直径三十センチほどのチーズケーキを取り出した。両手で皿を支えて、まじまじと見てから、鼻先まで近づけて匂いをかいだ。キッチンテーブルに置き、食器洗いから取り出した小皿二枚とフォーク二本をそろえた。
「涼子はこれをいつ持ってきたんですか?」
「おとといよ。久しぶりにいらしてくれて。前は毎週いらしてくれたのに……」
金吾は、一日違いで作ったケーキなら、焦げたケーキと材料が同じだろうと思った。形も同じかも知れない。
「あんた、お食べなさい。持ってかえってもいいわよ。冷蔵庫に入れて冷凍保存しといたら?」
冷凍保存! 遺体の冷凍保存!
金吾も凍りついた。女史は、酔って言葉の露骨さに鈍感になっているのか? それとも自分が過敏になっているのか?
「私はいいのよ。おばさん、これ以上食べると、山椒魚みたいに、あのドアから出られなくなっちゃうわ」
女史はゆるゆるとジョッキを持った右手を上げてドアを指した。振り返った金吾にはその右腕だけが見えた。腕の下辺が振袖になってゆらゆらと揺れていた。金吾は、出て行け、と言われているような錯覚を覚えた。
金吾は、テーブルの上のケーキに目を移した。何者かに腰を蹴られたような衝動を覚えた。ケーキをひっつかんだ。スポンジに指が食い込んで十個の穴をあけた。むしゃむしゃとむさぼり食った。味はわからなかった。かすかに涼子が使っていたボディーシャンプーの香りがした。まさか。
突然デジャブに捉えられた。金吾が甘いものをうけつけないので、涼子は金吾にケーキを出すことはなかった。だからケーキのせいではない。女史とは今日初めて会った。今後、会うのは必要最小限にしたい。女史のせいでもない。いったいこの既視感はどこから来ているのか。
小皿二枚、フォーク二本… カメレオンのような顔をした袋田が自信ありげに言い切った『紅茶のカップが二つ。別にケーキを置くための皿が二枚。犯人用と自分用ですが…』
いや、そうとは限らんぞ、と金吾はつぶやいた。
涼子はこうしゃべったかもしれない。
私はいいのよ。あなたたちふたりのためにつくったの。私、これ以上食べると……



