涼子あるいは……
蚊の羽音のようなうーんという機械音とともにリナックスが開いた。
「今の今まで決心がつかなかったけど、やっぱりどうしても金吾さんに渡しとかないと」
彼女はCDを入れてコピーをとり始めた。
「どこかおかしいとはわかっていたけれど、これほどとはなぁ。なぜはっきり言えないんだ? からだのどこの部分が悪いんだ?」
「使いすぎの部分よ」
金吾はこの場の雰囲気を刷新するためにちょっとした冗談を言ってみた。
「使いすぎとは思わないな。こちらとしてはもっともっと使いこむ予定だ。妊娠したのか? 産婦人科に行こう。ついてってやるよ」
涼子は、金吾をハッタと睨んだ。両眼に火炎が立ちのぼった。金吾はしまったと思ったが後の祭りだった。
「くだらないこと言わないでよ! 頭ですっ! 脳が悪いの。脳を使いすぎたの。脳が破綻したの。もう疲れたわ。切れたわ。頭にお灸か針でも打ってもらいたい位よ」
体全体に倦怠感が漂っている。確かに長い間の緊張がついに切れたといった感じだ。そんな感じが金吾にあらわになっているのを隠す様子がない。
心身の高緊張の持続は、涼子の特徴のひとつだった。金吾も並みの男たちに比べればタフだと自負しているが、涼子は、金吾をしのいで、あきれるほどタフだった。いつ寝ているのかわからなかった。金吾より遅く寝て金吾より早く起きる。例外は一晩もなかった。そもそも寝ていたのかさえ疑わしかった。それなのに今はこんなことになっている。もう疲れたわ、だって? 涼子からは、初めて聞く言葉だった。
金吾は、口がきけなくなった。自分が涼子について無知である疑いがいよいよ強まってきたので、発言を差し控えるべきだと自己規制をかけたからだ。
涼子は上半身を揺らしながら、パソコンの縁を人差し指でけだるそうに弾いた。危なっかしい素振りだ。眼がすわっている。
「このCDには私の身体状況が入ってるのよ。というより、脳の状態だな。病に犯された脳の記録。私に何かあったら、あなたがお医者さん、じゃない、解剖医になって診断してみてね」
金吾はぎょっとした。涼子はとぼけたふうに宙を見上げ、体をくねらせる。
「しっかしなあ、これを読んだら金吾さん絶対に病気になるなあ。あったま、狂うだろうなあ。あたいは悪い女だ。悪いよねえ…… 運命だと思ってあきらめておくれぇ」