涼子あるいは……
山崎の荒い息の音が聞こえる。山崎だけではなく、金吾自身も、荒い息を吐いていた。二人とも椅子にへたりこんでいる。
「あいつは官憲のスパイだった。あいつの能力と色香に惑わされた。俺も耄碌したもんだ。だがな、殺ってないぜ。あんたみたいな袋田のスパイ野郎に、やったって言うはずはないだろうが。あれっ? 誰にだって言うはずはないよなあ、チクショウ、酔っぱらったわい」
「人を見たらスパイと思えか。スパイと思えば殺してしまえか。許さんぞ」
「なにを言いやがる。お前が殺したんだろ。妊娠して結婚してくれと迫られて遠交している女にばれるのが怖くて殺したんだろ」
「遠交? だれのことだ? 学生の時付き合っていた彼女のことか? あんたも袋田と同じだな」
金吾は二年前に別れた同じ学部の女子学生を思い出そうとしたが、とっさにその顔が浮かんでこなかった。遥か昔の出来事のようだった。
「じゃ、誰が殺したんだ」
山崎はカウンターに片肘をついてつぶやいた。
山崎の向こうに開いている窓から、夕暮れの空が見えた。白雲が、縁をオレンジ色に燃えたたせて、垂直に吹き上がっている。張りのゆるんだ電線が見える。カラスがとまっている。電線と一緒にかすかにゆれている。
「じゃ、誰だ」
金吾もつぶやく。山崎の横顔に焦点を戻す。
この男はとぼけているのか。本当に殺っていないのか。百戦練磨の過激派だ。若造をごまかすことなぞ朝飯前だろう。査問をかけたと口走った。どんな査問だ? よってたかってのリンチはお手のものだろうが。袋田が言っていたことはやはり当たっているのかもしれない。
それに、疑われた人物は、自分を疑う相手こそが疑わしいと激しく言いつのるものだ。真犯人が無実のふりをする際の、古典的手管だ。ただし、山崎は、そんな手管など、こちらが承知しているということを承知の上で、あえてそうしているかもしれなかった。憶測にきりはなかった。
「お前が、涼子亡き後、袋田たちと直接つながったのかどうかを、今日確かめたかったんだ。はっきりはせんが、どうも当たってそうだな、お前がやたらと反発するとこを見るとね。お前、内心は大して驚いてないんじゃないか。それがどうした、くらいにしか感じてないんじゃないか。