涼子あるいは……
山崎の形相は、いまやものすごく、見るに耐えない。赤黒く腫れ上がった顔面には一面にミミズがのたくっているような血管があらわとなり、虫喰いそのものの陥没はますます深くなっていく。
金吾は怒鳴った。
「かってな妄想に駆られて、涼子を査問したんだろ。スパイであることを白状しろと攻め続けたんだろう。いたぶりいじめて、結局殺したんだろう。あんたらが嘗てやってきたパターンだ。私は絶対許さん。この人殺しが!」
金吾は全身の筋肉を硬直させながら立ち上がった。山崎の左眼のしたの皮膚が痙攣した。ゆっくり金吾を見上げた。右ひじをカウンターについて、左手はわき腹を押さえている。
「あんたねえ、言っていいことと悪いことがあるぜ。どっちが妄想に駆られているんだ? てめえのほうが、妄想の奴隷じゃないか。どこに証拠があるんだ」
証拠? 証拠は、……ない。双方ともない。山崎のこれまでのすべての発言は、証拠を欠いた妄想に思われた。だが、反論する金吾も証拠は欠いている。
「フン、殺したかったのは事実だよ。飼い犬に手をかまれた。あんなにかわいがって、信頼していたラッシーちゃんに手をかまれちまった。ちょっと前まではべろべろなめてた俺の手をさぁ。犬歯で食いつきやがって。くそっ」
ビールをぶっ掛けられたような気がした。なんだ、その発言は? 聞き捨てならない。まさか?
山崎は金吾を流し目で見た。
「そうよ。俺の方が先だった」
「嘘つけ、この野郎!」
金吾は思わず手が出てしまった。上体をねじって、左の正拳で山崎の左頬骨を殴った。皮膚にぬめりこむようないやな感じがした。大きな音がした。椅子といっしょに山崎は横転した。何秒かたって、ゆっくりと山崎が椅子にすがりついて立ち上がった。くちびるの左端から血が滴っていた。山崎は、上体をくねくね揺すりながら言い放った。
「そうだ。嘘だよ。お前をからかっただけだ。一度言ってみたかったんだよ。ああ、清々した。
だが俺は別の意味で先輩だぜ。ちっとは丁重にあつかえよ。
あのなあ、お前が手を出したのは、お前の自信のなさの証拠なのさ。やばくなってきたからそうするのさ。あと、嫉妬な。ひひっ。
あーっ、おいおい、もう殴らないでくれよ。こんど殴ると、クソガキって、大声で叫んでから、俺のお友だちらを呼んじまうぜ」