涼子あるいは……
そのときドアが開いた。金吾は山崎に背を向けてドアのほうを見た。がっしりした体つきの男が入ってきた。三十位で、ポロシャツの裾をベルトの下に押し込んでいる。ドアのそばの椅子に腰を下ろす。カウンターのほうは見ない。
「へーい、いらっしゃい」
「角を炭酸で割ってくれないか」
「ここ四十年、スピリットは出してないんでね。馬のションベンならあるよ」
客は怒りでたちまち顔を紅潮させた。
「じゃ、その馬のションベンをひり出しなよ」
亭主は立ち上がって冷蔵庫からビールを取り出し、カウンターの向こうのグラスをもう一方の手でつかむと、のろのろと店の中央を横切って、その男の向かいの席に腰を下ろした。
「暑いのにご苦労さんです」
亭主は前掛けのポケットから栓抜きを取り出して栓を抜くと、ビールをついでやった。相手の男はじろりと亭主を見て一気に飲んだ。亭主はふんぞり返って顎を上げて相手を半眼で観察している。男は、さらにニ杯、大急ぎといった様子で手酌で飲んでから、下を向いたまま、そそくさと立ち去った。
「立川署のもんじゃないなあ。本庁から来るのは久しぶりだわい」
亭主は、中身が半分残っているビール瓶と空のグラスを持って立ち上がり、つぶやいた。代金はテーブルの上にほっぽらかしてある。
金吾は亭主の横顔を観察した。この男も印象が変わってきた。動揺が微塵もない。結構な貫禄ではある。
さて今の刑事は、金吾を尾行してきたのか、山崎をなのか。それともこの店を偵察に来たのか。
山崎が声を高めて言う。
「何を隠そう、このオヤジ、昔は幇間でさ。桜川ピン吉。ほら、オヤジ、なんかやって見せろよ」
ビール瓶を床に置き、グラスを水道で洗ってから、亭主はくるりと一回転すると、金吾にひょっとこ面を突きつけた。
「こんち、お久しぶりの御目文字で、あちきはうれしゅうありんす」
女言葉を吐きながらしなをつくると、一転、揉み手をしながらぺこぺこする。
「若旦那。またまた男っぷりをお上げになさいやしたねえ。女衆がほっておかないんでござんしょうなあ。てって、きょろきょろなさるたあ、さては高尾姐さんですかい? こちとら、若旦那のこと聞かっされどおし。早く会ってやっておくんなせいやし」