小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

涼子あるいは……

INDEX|110ページ/217ページ|

次のページ前のページ
 

「逡巡がなかった。まずここがおかしい。あの防波堤がやたら高そうな美女を落とすために、俺は弁論術の限りをつくそうと、てぐすねひいてたんだがね。簡単にいき過ぎてちと不審に思ったってことよ。まだあんたが来ない段階で、もう山岸個人があるたくらみを持っていたようにさえ思えるんだ。
組合の事務についてはまことに優秀だったな。彼女が大人にも子供にも大人気だったからといって、俺らの評価が甘くなりはせん。彼女は精密機械のような書記だった。彼女が組合に入ってしばらくすると、事務方は彼女を中心にして機能するようになった。裁判用にとってある証拠書類の類まで彼女の管理に任せてしまった。彼女は自らの構想のもとに、事務系統を一新した。
ところが、彼女が事務方のお局になってから、こちらに都合の悪いことが次々に起こり始めた。今年の五月からだ。これが状況証拠の二つめだ。
たとえば、二十年以上も前のあれやこれやで出頭せよと、組合員に警察から通知が来る。集会をやれば、早々と機動隊が待機している。出版に関しても、出すといっていたデスクが急にごめんなさいと言ってくる、組合員さえも知らない封印されたデータまでが流失しているんだぞ。幹部だけしか知らない打ち合わせ事項が漏れているんだ。なぜ個別集会の時と場所が官憲に知れるのか、なんで草稿の段階のアジびらが所轄の警察の手に渡るのか、ミスがあったのでシュレッダーにかけたはずのコピーを、なぜ検察が持っているのか、マンション、アパート前に、なぜ実に的確な時間帯にパトカーが停まっているのか。例はいくらでもあるぞ。十や二十どころではない。そんなことが続いたんだ。
歳くってからのどたばた騒ぎで、女房子供持ちは、家でなんと言っていいか、いつも困っていた。俺たちの素性なんか知らずに結婚した女たちはたくさんいるんだ。そのまま知らずに、あるいは、うすうす感づく程度で、何年も何十年もたっている場合だってあるんだ。虚構の家庭がいっぱいあるぞ。それらが揺れ始めた。困ったもんだ」
山崎は大量の泡をこぼれさすまでに、自分のグラスにビールを注いだ。泡が指を濡らした。
今までとはちょっと違った印象だった。人生派風の詠嘆に転調して見せたりして、油断がならないな、と警戒する。この方向に脱線させてはならない。しかし山崎に対して、かすかに憐憫の情が湧いたのは、いかんともしがたかった。
作品名:涼子あるいは…… 作家名:安西光彦